豚と女王と木花開耶姫

昨年、みシまる湟耳(こうみみ)氏の著書「少女神 ヤタガラスの娘」を読んで以来、「少女神」をテーマにそれなりの本数の記事を書いてきました。

この「少女神」を切り口に近年のアニメ作品を分析すると、そこにはまた共通する歴史的プロット、キーワードが見出せるのです。直近の投稿でも「SPY×FAMILY」、「ダーリンインザフランキス」を取り上げましたが、そこにはやはり

 古代天皇の皇后となった女性シャーマン(少女神)

の姿が見出せるのです。

さて、本ブログではアニメ分析の最初の取り掛かりとして、スタジオジブリの大ヒット作「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」を題材に取り上げ、そこに登場する人物の関係性が日本神話に登場する神々(実際は実在した古代天皇とその関係者)のそれに近い、といよりは、おそらくこれらの作品は日本神話を基にストーリーが組まれているのだろうと、結論付けています。

これが単なる神話のパクリだというだけの話ならば、アニメファンに喜んでいただいてこの話題は終了なのですが、これまでの分析の結果、どうも、日本書紀や古事記、秀真伝にも書かれていない要素がアニメには描かれている、要するにアニメ制作サイドは一般に普及している史書以上の情報を持っているらしいことが分かってきました。

そこで、本ブログでは、現代アニメを「もう一つの史書」とみなし、他の史書と比較検討しながら、そこに描き込まれた真の歴史を読み解こうと試みるものです。私自身は間違ってもアニメブログにするつもりはないのですが、何だかアニメばっかり取り上げてふざけた歴史ブログだと思われているのならば、それは私の実力不足なのでどうかご容赦ください。

■紅の豚:他の作品との共通点

今回はスタジオジブリの作品の中でも、少し時間を遡った1992年の劇場映画作品、「紅の豚」について分析を試みます。

画像1:紅の豚

さて、この「紅の豚」ですが、豚がいきなり主人公というのですから、設定としてはかなり突飛であると言えます。宮崎監督としては大人向けのアニメ作品を作ろうとしたとエピソード的には伝えられているようですが、鳥獣戯画のようなハイセンスな婉曲表現を狙った訳でもないことは、その他の登場人物が全て普通の人間として描かれ、特に風刺の要素などが見られないことからも窺い知れます。

それなのに主人公だけが動物に、それも豚などと表現したのか、既にこの辺りから何か別の意図があることを予見させるのです。一応、作中でマルコは「呪いを掛けられて豚にされた」と説明はあるのですが、その経緯や物語終了後にどうなったかなどは一切説明されていません。

同作品を観ていない方のために、ここではまず分析の対象となる登場人物とその関係性を簡単にまとめてみました。細かい設定やストーリーについては本作品をぜひご覧ください。

画像2:主要登場人物
血は繋がっていないが親子の世代関係である

さて、ジブリ作品が大好きな方なら(私は違いますが)、「呪いを掛けられて豚になった」という説明を聞かされて直ぐに次のシーンを思い出すのではないでしょうか?

画像3:「千と千尋の神隠し」から豚になった両親と驚く千尋

そうなのです、「豚」という記号は、「紅の豚」公開から10年後の2002年のジブリ作品「千と千尋の神隠し」で再び登場しているのです。

過去記事「千と千尋の隠された神(2)」では、「紅の豚」のタイトルに使われた「紅」と「豚」のキーワードが、それぞれ「紅花」と「養豚業」のことを指し、それが、かつては紅花の産地であり、現在は養豚業が盛んな、千葉県東総地区、現在の銚子市・旭市周辺の土地を表す記号ではないかとしています。もちろん、この土地は、「千と千尋の神隠し」でも舞台のモデルとなった土地であろうと結論付けています。

ここから、両作品が非常に密接な関係にあることが窺われるのですが、千尋が栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)をモデルにしていることはもう分かっていますから、「紅の豚」もおそらく同時代の古代天皇とその皇后、すなわち少女神をモデルにしているのが予想されるのです。

■どうして豚でなければならないのか?

上述の過去記事では、土地を表す記号としての「豚」を想定しましたが、「紅の豚」における表現からは、特定の土地(千葉県東総地区)を指している感じは伝わって来ません。そもそも作中の舞台が第一世界大戦後のイタリア、そしてアドリア海という設定ですから、日本国内の土地を予見させる要素はゼロと言って良いくらいです。

すると、「豚」が指示す意味は、おそらく土地に拠るものだけではないことが分かってきます。それならば、「豚」の文字にどのような含意があるのか、そこをもう少し詳しく見て行くことにしましょう。

日本語の「豚(ぶた)」は中国語では「猪(zhu)」と書きます。猪はもちろん日本では「いのしし」となります。ここでは

 豚 ≒ 猪

としましょう。さて猪と言えば十二支を表す「亥」と同義であると見なせます。すなわち

 豚 ≒ 猪 ≒ 亥

となります。

さて、亥に関しては「亥の子」というお祝い日があるのをご存知でしょうか?Wikiペディアには次のように書かれています

亥の子(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。
主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A5%E3%81%AE%E5%AD%90

どうやらこのお祝いは、猪が非常に多産であることから、それにあやかり子孫繁栄を願って亥の日に行われるようなのです。ここで、「豚」に生殖・繁殖の意味が加わります。

さて、次に調べるのは、十二支の「亥」の字が持つその真意についてです。私たちは十二支と言えば、直ぐに12種類の動物を思い描きますが、陰陽五行におけるそもそもの十二支の定義とは、

 樹木の成長過程

を表すものであったと言われています。現在使われている動物を対応させる形式は、覚え易さのため後に普及したものだとも言われていますが、真偽の程は私も良く分かりません。

この植物形式による十二支の解釈は、具体的には、

 子(ね) → 種となって次の力を蓄えている状態
 寅(とら)→ 芽が伸び始める
 申(さる)→ 実の形ができる

などの解釈が付けられています。これに従って「亥」の字を解釈すると

 亥(い) → 種に成長力がみなぎった状態

となります。亥と子の違いは、亥(い)は種子として完成したことを表し、世代交代前の一サイクルが完了したこと、そして、子(ね)は次世代のサイクルが新たに始まったことを意味します。ここから、「豚」の字には「完成した種子」の意味が含まれているとも解釈可能なのです。

動物的解釈の「生殖・繁殖」と植物的解釈「種子の完成」、この2つの言葉を聞いて読者の皆様は何を想像するでしょうか?私はここから、次の言葉を連想します。

 生殖・繁殖  → 血の継承
 種子の完成  → 遺伝子

そして、遺伝子による血の継承とは、前回記事「大空のXXと少女神の暗号」で分析した「XX」(ダブルエックス)の解釈と見事に重なってくるのです。

■キャラ名が示すもの

ここで、登場人物名を分析してみます。もう一度画像2を見てください。

まずはジーナですが、イタリア語表記では「gina」となりますが、これはおそらく「女王」を表す「regina」の省略形であると考えられます。

次にフィオですが、イタリア語表記では「fio」となり、これもジーナと場合と同様に「花」を表す「fiora」の省略形なのでしょう。

「女王」は日本の事情を考慮して翻訳すれば「皇后」となるのは説明不要でしょう。そして、「花」の付く古代皇后は誰なのか、それはこのブログ記事のタイトルを再度眺めて頂ければ直ぐにお分かりになると思います。

この歴史上の皇后はジブリ映画「もののけ姫」では「サン」のモデルになりました。詳しくは「もののけ姫」に関する過去記事をご覧になってください。

さて、問題なのは「マルコ・パジェット」で、あだ名の「ポルコ・ロッソ」がイタリア語の「porco rosso(赤い豚)」を表すのは良いとして、本名がいったい誰を表すのかが私もまだ完全には解読し切れていません。

ずばりその名が示す様に、新約聖書の聖マルコを指すのではないかとも考えたのですが、どうもしっくりきません、しばらくしてこれではないかと閃いたのが次のキャラクターです。

画像4:ちびまる子ちゃん
  漫画連載:1986-1996、
TV放映:1990-1992

いくら何でも親父ギャグが過ぎるのではないかと思われるかもしれませんが、このキャラとの関係を疑った理由は名前の響き以外にもあるのです。

それは、「紅の豚」の公開時期とTV放映・漫画掲載の時期が重なっていること、そしてこの時期「ちびまる子ちゃん」は全国的に大ヒットしていたことが挙げられます。

そして何より、このキャラクターが少女時代の作者、「さくらももこ」さんの自伝的肖像であるという点なのです。作者の名前には

 桜と桃

の2つの花の名前が刻まれていること、そして何より「紅の豚」の主題歌が、シャンソンの名曲「Le Temps Des Cerises」、邦題

 さくらんぼの実る頃

である点なのです。

イタリアが舞台なのにどうしてカンツォーネ(Canzone)ではなくフランスのシャンソン(Chanson)なのか、これは、この映画の冒頭から非常に気になった点でもあります。

そして、さくらんぼ(Cerise)とは、桜の木の種子のことであり、「種子」を逆に読めば「子種」となります。マルコ(男性)の「子種」と「皇后」(女性)の組み合わせに次世代の「花」(女性)が加わる、この関係が何を示すのかはこれ以上言葉にしなくても明らかでしょう。

これらの表現の一致を果たして「偶然」で片づけて良いものなのでしょうか?私はこれを、宮崎監督個人の着想を超えた、出版・アニメ制作業界が結託した高度な大衆心理誘導工作の一部だと捉えるのです。


Longtemps, longtemps, longtemps
Après que les poètes ont disparu
Leurs chansons courent encore dans les rues(*)
管理人 日月土

*「L’Âme des poètes」(詩人の魂)より

大空のXXと少女神の暗号

年が明けたばかりの今月6日、某所(後で説明)の現地調査に向かったのですが、移動中に空を見上げて驚いたのが、そこに描かれた二つの「X」の文字だったのです。その状況は(真)ブログ記事「新たな祭の始まり」で触れています。

それが自然にできた雲によるものなのか、あるいは飛行機雲なのか、その発生源については未だに不明ですが、空に文字様の雲を見かけるのは必ずしも珍しいことではありません。それでも今回驚いたのは、そこに描かれた文字が「XX(ダブルエックス)」であるということ、また「XX」を見たのがこれで2回目だということなのです。

最初の目撃体験については、昨年4月の(真)ブログ記事「大空のダブルエックス」で触れていますが、何より不気味に思えたのが、「XX」を目撃した2回の調査活動の目的が

 少女神のルーツを探る

という、同じテーマであったことなのです。

画像1:2度出現したXX状の雲

■ダリフラのXXの意味を再考する

4年近く前、(神)ブログを始めた頃に2018年のアニメ作品「ダーリン・イン・ザ・フランキス」(以下ダリフラ)を取り上げ、そこに隠された日本古代史について分析を行いました。

取り敢えず、その時点で気付いた要素については一通り記事にしたつもりだったのですが、そう言えば、このアニメのタイトル画には「XX」が2つも描かれていたのを思い出したのです。

画像2:ダリフラのタイトル画

ここで、過去の記事を読み返してみたのですが、当時はまだ上古代における皇后兼巫女の女系継承問題、いわゆる「少女神」についてはその概念すらなかったので、分析の方向性は

 双子の皇后

すなわち、政治的なポジションとしての皇后と、宮中祭祀など巫女的役割を担った二人の皇后がいたのではないか、その点にのみフォーカスし、血の継承問題については特に分析の対象とはしていませんでした。

そこで、偶然?にも二度目撃した「XX」に鑑み、ここではこれまでのダリフラ分析に新たに女系継承の視点を取り入れてみようと思い立った訳なのです。

これまでのダリフラ関連記事:

 1)2019年3月30日 “ダリフラ”、タイトルに隠された暗号 
 2)2019年4月2日 太宰府で繋がる新元号とダリフラ 
 3)2020年2月27日 ダリフラのプリンセスプリンセス 

さて、タイトル画以外に「XX」の意味について触れたシーンが作中に一箇所あるので、まずはそこを押さえておきましょう。

画像3:生体兵器「叫竜」(きょりゅう)の肉体はXX(女性遺伝子)で構成されている
(第20話より)

アニメの設定における位置付けはともかく、画像3をのシーンを見る限り、少なくとも「XX」がX染色体、すなわち「女性遺伝子」を指していることは明らかです。問題なのは、画像2のタイトル画で象徴されるように、何故「女性」と「遺伝」をここまで強調するのかその点なのです。

単純に考えれば、これは女性の特性が遺伝的に続くこと、すなわち女系の血の継承を表現しているのではないかと取れるのですが、いかがでしょうか?

これまでの分析により、アニメの主人公である少女「02」(ゼロツー)は、その数字が「鬼」を表すことから、鬼道(呪術)の使い手で知られる卑弥呼、そしてその実体である神武天皇の皇后、媛蹈輔五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)をモデルにしているだろうと予想しています。

また、「媛」ヒメの字がその名に2箇所使われていることから、恐らくこれが双子の皇后の存在を表すであろうとも結論付けています。アニメでは「ゼロツー」が「叫竜の姫」の遺伝子クローンという設定になっていますので、これはまさにヒメタタライスズヒメが双子であることを遠回しに表現しているのではないかと捉えたのです。

これらを少女神の視点から更に表現し直すと

 双子の皇后ヒメタタライスズヒメは、特定女系の血を引き継いでいる

となるのです。

実は、この予想を補足する作品中のメッセージとして、次の登場人物のネーミングが大きな意味を持つことに後から気付きました。

画像4:二人の主人公の世話役「ハチ」(008?)(右)と「ナナ」(007/077?)(左)

二人の役どころは、主人公達を含む「子供」と呼ばれる少年・少女戦闘員の世話役、物語の最後では彼らの親代わりというポジションに移るのですが、まずここで親子という世代継承のニュアンスが表現されているのが分かります。

しかし、数字をそのまま読み替えただけだろうこの二人の名前は、より重大な意味を含んでいることが以下の分析から見出せるのです。なお、この二人に限っては、他のキャラには付けられているコードナンバーが何故だか設定上でも明記されていないので、「ハチ」については「8」、「ナナ」については「77」の数字を割り当てることにします。

画像5:二人の名は「皇后」を表す。

3桁の数字「123」が「天皇」の意味を持つことは(真)ブログ記事「新嘗祭イヴの呪い」をご確認頂きたいのですが、実はこの場合「877」という数字が転じて「皇后」を意味することはこれまで説明したことはありませんでした。

どうしてそう言えるのかは、画像5を見ればお分かりの様に、この二つの数字が加算された時に初めて新しく4桁目が生じる、すなわち、天皇と皇后の組み合わせが新しい次の世代を生み出すと解釈できることに拠るのです。

ここまで来ると、「ハチ」と「ナナ」のネーミングは適当に付けられたものとは考えにくく、明らかにこれは、「皇后」に関連するメッセージを強く含んでいると考えられるのです。

古代史ならず日本の歴史の主役は「天皇」であると私たちは考えがちですが、どうやらダリフラが意図する歴史的視点は、皇后の輩出家系についても大いに注目しているようなのです。

■ヒメタタライスズヒメと三嶋溝橛

さてここで、ダリフラにおいて角の有る美少女キャラのモデルとなったであろうヒメタタライスズヒメが史書の中でどのように記述されているかを確認してみます。

此の神の子は、即ち甘茂君等(かものきみたち)・大三輪君等、又姫蹈韛五十鈴姫命なり。又日はく、事代主神、八尋熊鰐(やひろわに)に化為(な)りて、三嶋の溝樴姫(みぞくひひめ)、或は云はく、玉櫛姫(たまくしひめ)といふに通ひたまふ。而して児姫 蹈韛 五十鈴姫命を生みたまふ。是を神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといはれびこほほでみのすめらみこと[=神武天皇])の后(きさき)とす

日本書紀神代上第八段一書から

これの他に、次の箇所でも登場します。

庚申年(かのえさるのとし)の秋八月(あきはづき)の癸丑(みづのとうし)の朔(ついたち)戊辰(つちのえたつのひ)に、天皇、正妃(むかひめ)を立てむとす。改めて広く華輩(よきやから)を求めたまふ。時に、人有りて奏して日さく、「事代主神、三嶋溝橛耳神(みしまみぞくひみみのかみ)の女(むすめ)玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める児を、号(なづ)けて媛蹈輔五十鈴媛命と日す。是、国色(かほ)秀れたる者なり」とまうす。天皇悦びたまふ。

日本書紀神武天皇記本文から

以上から、書紀では神武天皇の正皇后であるヒメタタライスズヒメは事代主神と玉櫛姫の間に生まれた子と記述されているのですが、秀真伝ではその辺の関係性が少し異なります。

画像6:秀真伝によるヒメタタライスズヒメの系譜

上図の様に、秀真伝によれば玉櫛姫を娶った事代主と言うのは、同じ事代主でも孫の世代に当たる「ヤヱコトシロヌシ」を指すようなのです。

事代主は皇統の代で言えば瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と同世代になりますから、その娘が瓊瓊杵尊のひ孫に当たる神武天皇の后になるというのは少し不自然です。ですから、同じく事代主のひ孫世代がヒメタタライスズヒメとなる秀真伝の記述の方が、より真実に近いと考えられます。

さて、今回の注目点は「少女神」ですから、そうなるとどうしても気になるのが、画像6でも示した、皇后を輩出した家系

 三嶋溝橛(みしまみぞくひ)

とは何者なのか、その点なのです。残念ながら、秀真伝でも三嶋溝橛の妻の名、およびそれより遡った系図は出ていません。

少女神と言う概念を初めて取り上げた記事「少女神の系譜と日本の王」で、私は「みシまる 湟耳(こうみみ)」氏が書かれた本「少女神 ヤタガラスの娘」を紹介しましたが、その中でネタバレ防止の為、次の様に一部を伏せて書いている箇所があります。

古代皇統の権威は特定家系である「☆☆☆」家の少女の元へ入婿することによって引き継がれてきた

もうお分かりのように、この伏字に入る文字は

 ミシマ

なのです。また、著者が三嶋溝橛にたいへん注目していることは、ペンネームの「みシまる」に如実に表れているとも言えるでしょう。

これまで、国内少女神の家系として、伊弉冉尊(いざなみのみこと)から始まる、下照姫の家系、月読尊の家系を予想していましたが、今回登場した三嶋溝橛がそのどちらかの系統に繋がる血筋なのか、あるいは全く別の女系一家なのか、新たなる謎が加わることになりました。

ダリフラというアニメは、素人目に見ても相当に脚本を練った作品、あるいは古代史情報をふんだんに詰め込んだ作品と認められるのですが、ここまで出してくる目的とはいったい何なのか?表現者のその意図を含め、今後の分析が求められるのです。

■大空のXXが意味するもの

次の2つの写真は、空にXXが出現した当日の調査対象です。

画像7:香良須(カラス)神社 愛知県豊田市市木町(令和4年4月11日撮影)
画像8:三島神社 千葉県君津市糠田(令和5年1月6日撮影)

香良須神社はみシまる氏の著書に書かれていたことから、半ば興味本位で向かった場所ではあるのですが、現地の客観的な情報からだけでも次の点が窺えます。

 祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)→ ワカヒメ → 下照姫(少女神)
 所在地は市木町(いちきまち) → イチキ → 市杵島姫(少女神)

そして、君津の三島神社については特に語る必要はないでしょう。

大空のXXが少女神調査との関りで出現したものなのか、それとも単なる偶然なのか、それは私にもよくわかりません。ただ、このテーマが日本(にほん)という国の成立ちを知る上で、避けて通れないものであることを、ひしひしと感じるのです。


賀茂川を上りて向かう姫宮は紅差す御身の清き里なり
管理人 日月土

SPY×FAMILYに見る月読と市杵島姫

今月25日の(真)ブログ記事「国家権力動員のSPY×FAMILY」では、現在放映中の人気アニメ「SPY×FAMILY」を題材に、そこに登場する角の生えた少女キャラクターが、古代皇后兼巫女であったいわゆる「少女神」をモデルとして描かれているのではないか、そして、彼女たちが取り上げられる最大の理由が、その存在を抹殺せんが為の呪詛なのではないかと述べています。

画像1:SPY×FAMILY 
(C)遠藤達哉/集英社・SPY×FAMILY製作委員会

呪詛と言うとオカルトぽくなってしまいますが、日本書紀や古事記などの史書で事実と異なる記述が明らかな場合も、それが事実を捻じ曲げ特定個人を貶めるという点では、やはりそれは呪詛や呪いの類と見なすことができます。

「呪詛」というどこか思想的な観念を持ち出すのは、単に史書から都合の悪い事実を伏せれば良いだけのことなのに、わざわざ特定個人を貶める記述を加えるという行為に、どこか現実的な損得を超えた強い悪意と憎悪を感じるからです。

私は、記紀及びその他の史書についてもそこに大きな改竄が加えられていると考えていますが、それが、登場人物に侮蔑的な名前が付けられていたり、その行為が悪し様あるいは嘲笑的に書かれている場合は、やはりそれも呪詛の一形態であると捉えています。

その意味では、現代メディアがやってることも全く同じで、映画やドラマ、そしてアニメ作品においても、昔ながらの「言葉による呪い」が込められており、その呪いが歴史上の特定人物に向けられているケースをこれまで幾つかご紹介してきました。

しかし、これを逆手に使えば、作品に込められている呪詛の形態から歴史的事実を辿れると考え、実際にその手法を用いてこれまでに「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」など大ヒットアニメに隠された古代日本の実相を分析してきました。

アニメ「SPY×FAMILY」もそれら呪詛的作品の例外ではなく、おそらくその背後には、隠された歴史的事実が存在するであろうと思われるのです。

■ヨルの名に隠された暗号

このアニメの主人公は「鬼の角型髪飾り」を付けた少女「アーニャ」ですが、ここではまず、その仮の母親であるヨルに注目します。

画像2:ヨル

このヨルさん、コードネーム茨姫(いばらひめ)の異名を持つプロの殺し屋で、運動能力が極めて高いという設定以外にこれと言った情報は付加されていないのですが、このヨルという名前をそのまま日本語の「夜」と解釈して良いことは、スパイである旦那役(ロイド)のコードネームが黄昏(たそがれ)であることから容易に察しが付きます。「黄昏に続いて夜が来る」ということです。

それでは次に「夜」に対応する歴史上の人物とは誰なのかを考察してみます。

これまでに少女神の分析を行ってきた対象が、日本書紀・古事記共に神代が中心であったことから、ここでも同時代の記述について調べてみることにします。

「夜」の字で記紀の神代原文を全文検索した場合、明らかに人名(あるいは神名)の一部として現れるケースは

 古事記:
  火之藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)
  波邇須毘古神(はにやすびこのかみ)
  波邇須毘賣神(はにやすひめのかみ)
 
 日本書紀:
  月見尊(つきよみのみこと)
 
となります。

これでは両史書の間で共通項が見当たらないことになりますが、実は古事記には次の様な「夜」の記述があるのです。

 次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。

次に月読命に詔りたまはく、「汝命(いましみこと)は、夜の食国(おすくに)を知らせ」と事依(ことよ)さしき。

ここでは表記の違いにご留意ください。「月夜見=月読=月讀(つきよみ)」であり、以下は「月読」で表記を統一します。

「夜の食す国」とはまさに夜の帳が降りた世界のことであり月読はまさに「夜」の統治者であると記されているのです。これは、月の美しく輝くのが夜の間であるという自然現象をそのまま詩的に表現しているとも言えますね。

以上から、記紀の神代記における「夜(ヨル)」の称号を持たされた人物(あるいは神)とは月読尊(つきよみのみこと)のことであろうと断定してよいのですが、問題なのはその性別なのです。

アニメにおけるヨルの性別は女性ですが、記紀では不詳、秀真伝では男性とされています。この性別問題については、前回記事「月読尊 - 隠された少女神」で提示した仮説を適用し、「ヨル(夜)」が月読尊を指す記号と解釈した上で、その性別はアニメが示すそのままに「女性」であった、即ち伊弉冉(イザナミ)の血を受け継ぐ少女神であったと解釈することにしたいと思います。

■アーニャは市杵島姫なのか

前回の仮説が適用できるとする根拠は、史書類から女系の血筋が隠されている(史実が改竄されている)のではないかと疑うところにあるので、その流れに従うと、当然ながら女性月読には娘がいたと考えざるを得ません。

秀真伝では男性月読に気吹戸主(いぶきどぬし)という息子が居たとの記述がありますが、この場合、こちらも女系を隠す意図の下で改竄されていると見なすべきで、実際には気吹戸主の嫁とされている市杵島姫(いちきしまひめ)が実の娘に当たるのではないかと見ることができます。

すると、ヨルとアーニャの母娘関係(偽装家族ではありますが)はそのまま次の様な対応関係になると考えられるのです

   母     娘
 —————————–
  ヨル → アーニャ
  月読 → 市杵島姫

すなわち、ヨルが月読を表す記号的存在ならば、アーニャも同じく市杵島姫を表していると見なすことができます。

画像3:アーニャは市杵島姫を象徴しているのか?

アニメの中で、アーニャは人の心を読む超能力を有する少女として描かれているのですが、これは神の託宣を受け取る特殊能力者であった古代巫女、すなわち少女神を表現しているとも取れるのですがどうでしょうか?

神話の中では、市杵島姫は宗像三女神の一人として誕生するのですが、全国の神社を回ってみると、三女神の中でも市杵島姫はとりわけ手厚く祀られている(あるいは封印されている)ように感じるのです。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)と聞けば広島県の宮島にあるものが夙に有名です。ここでは宗像三女神を祀っているのですが、摂社・末社などの小社として全国に建てられている厳島神社の祭神は、基本的に市杵島姫を祀るお社として認識されている場合が多いようです(具体的に調べた訳ではありません)。

画像4:宮島の厳島神社

よく考えてみたら「いちきしま」と「いつくしま」は発声がそっくりで、ここからも厳島神社が基本的に市杵島姫を主な祭神としていた証であることが見て取れます。

また全国に多く見られる仏教の弁財天(弁天様)も、本地垂迹説的には市杵島姫と同一視されることが多く、やはり宗像三女神の中では市杵島姫が特別扱いされていると考えられるのです。

それが隠された少女神の血筋に由来することなのかどうか、現在はこれ以上深読みできないのですが、これについては、アニメ放送の今後の展開を見て再度考察を加えたいと思います。

■呪われた少女神

アーニャの鬼の角のような髪飾りと大好物のピーナッツ。これが節分の豆撒きにおける鬼と炒り豆の関係に相当し、鬼とされた存在に向けた呪いであることを上記(真)ブログ記事では述べています。

すなわち、これはアーニャへの呪いでもあり、同時に「市杵島姫への呪い」とも取れる訳ですが、一方ヨルの方は、血塗られた殺し屋の顔を持つ女として描かれています。

画像5:ヨル、依頼を受ければ殺し屋となる

茨姫と呼ばれる血塗られた女、それがどのような悪意を込めた呪いなのかは不明ですが、あまり聞こえの良いものでないのは事実です。少なくともそのモデルであろう月読を敬っていないのは確かだと言えます。

血塗られた女に炒り豆を投げつけられる鬼女、少女神に対する呪いとしてはもはや散々なのですが、実はこのアニメと放映時期を同じくして、この二人の特徴を併せ持つ次の特異なキャラクターが別の作品に登場しているのをご存知でしょうか?

画像6:チェンソーマンから血の魔人パワー
(C)藤本タツキ/集英社・MAPPA

単なる偶然だとは思いますがどこか引っ掛かるのです。そう言えば両作品共に出版元は同じ集英社ですね。また、遠藤達哉氏は藤本タツキ氏のアシスタントを務めていたこともあるそうです。


寒風に追われて辿るこの道はい笑ます君の宮へ誘う
管理人 日月土

瀬織津姫 - 名前の消された少女神

前回、前々回とアニメ映画「君の名は」を題材に、日本の古代王権がどのように継承されていたのか、「少女神による女系継承」という仮説に基づいて考察してみました。

これまでに構造分析を試みたアニメ作品とそこに登場した少女キャラクター、それと秀真伝に記されている上代皇統の系図を組み合わせたのが以下の図となります。

画像1:上代皇統と少女アニメキャラ

どうしてこうなるかは過去の記事を読んで頂きたいのですが、世の中で話題となった大ヒット人気アニメが、実は日本古代史(あるいは神話)を何度もその題材として取り上げていることは注目すべき点であります。

そう言えば、現在公開中の「すずめの戸締まり」をはじめ、鳴り物入りのアニメ作品の主人公が基本的に「少女」であり、男の主役はどちからというと影が薄いのは共通しているパターンだと言えます。

■もののけ姫に描かれた女系継承

なんだかアニメのストーリーを無理矢理に女系継承の話に持って行ってないか?というご批判はもっともなのですが、これが権力の継承を象徴していると考えられるシーンが「もののけ姫」に登場したのを覚えておられるでしょうか?

画像2:カヤからアシタカに手渡された黒曜石の小刀

カヤはアシタカと別れる時に、形見として黒曜石の小刀を渡すのですが、そのカヤからの大事なプレゼントを、アシタカはサンにあっさりと手渡してしまいます。

このやり取りを見て、多くの女性視聴者が「アシタカは女心の分からない最低の男!」と評したかどうか分かりませんが、少なくともアシタカのこの行動に何の意味があるのか理解できなかった方は多かったと思います。

実は、この小刀を「権力継承の象徴」と見ればあっさりとこの謎は解決するのです。つまり、画像1において、栲幡千千姫から木花咲耶姫へと皇后の権威が次の世代へ移動した象徴と見れば良いのです。

これに加え、小刀が黒曜石であることにも大きな意味があるのです。みシまる湟耳著「ヤタガラスの娘」にも書かれていますが、伊豆七島の神津島は古代少女神と非常に関連が深い島として紹介されています。そして、その神津島こそが古代から黒曜石の重要な産地であり、神津島産の黒曜石は、対岸の静岡地方だけでなく、内陸は長野県の遺跡からも多く出土しているのです。

画像3:御前崎の「星の糞遺跡」
星の糞とは地面の上で星の如く煌めく黒曜石の破片ことで、ここから出土する
黒曜石の約90%が神津島産とのこと。古くは縄文時代後期からなる遺跡。

少女から少女へと受け継がれる黒曜石の小刀、これはまさしく古代女系継承を表現しているとは言えないでしょうか?宮崎監督はこのシーンについて「男とはそんなもん」と嘯いているようですが、この表現に隠された真意は極めて重要なのです。

■大祓詞と瀬織津姫

画像1にある瀬織津姫は、何故か記紀の日本神話の中に登場しない不思議な神様です。しかし、神話ではない人の歴史として古代日本を記述する秀真伝(ほつまつたえ)には、はっきりと男性王アマテルカミの正妻ムカツヒメ(瀬織津姫)として記述されているのです。

実は、記紀と秀真伝のこの大きな食い違いこそが、女神である天照大神(あまてらすおおかみ)を最高神と戴く日本神道の大きな矛盾点なのです。別の表現をするなら、国家神道の根幹部分がそもそもあやふやであり、それ故に私は、日本神話をファンタジー化された歴史の捏造と捉えるのです。ただし、神話化されたということは元の歴史的事実があるということでもあり、その意味では記紀が全く無価値だと言うつもりもなく、むしろ最も解読が求められている暗号書であると捉えているのです。

さて、男性王アマテルカミを女神天照大神に書き換えてしまったら、その妻である瀬織津姫の存在は不都合極まりありません。ですから、単純にテクニカルな意味で記紀の記述からそっくり外されてしまったのは容易に考え得ることです。

しかし、そこまでしておきながら、何故か大祓詞(おおはらえのことば)にはその名が出て来るのですから、その点は少し困惑してしまいます。ここでその大祓詞とやらを眺めてみましょう。

画像4:大祓詞(1/4)
画像5:大祓詞(2/4)
画像6:大祓詞(3/4)
画像7:大祓詞(4/4)

「ヤタガラスの娘」の中で、みシまる氏は①~③を呪いの言葉、④~⑦はいわゆる祓戸四神なのですが、これを瀬織津姫の神的パワーを削ぐために4柱の神名に分けて記述したものだとしています。

①の「金木(かなぎ)」は製鉄を表す言葉で、これをタタラ姫の家系、すなわち少女神の家系と推定し、その本(先祖)と末(子孫)を打ち切るとは、先祖末代を祟る呪いであるとしています。

また、これと同様に②の「菅麻(すがそ)」を蘇我氏、③の「彼方(をちかた)」を古代祭祀族の物部氏と推定し、やはり同家系を呪っていると断じているのです。

このみシまる氏の説には私も概ね同意なのですが、私は①の金木は鉄生産の国である古代朝鮮国の伽耶(かや)を指し、そこを出身とする女性シャーマンの家系、すなわち少女神の家系を指すと考えます。

また、②については「すがそ」を「須賀祖」と読めば、これは素戔嗚尊(すさのおのみこと)の家系、即ち大物主の家系を表し、即ち国津神である出雲一族を呪った言葉であると解釈するのが自然であると考えます。

なお、③については私も不案内なので多くの言及を控えますが、大祓詞を考案した中臣氏以前の祭祀族を呪うのは十分あり得ることだと考えられるのです。要するに

   大祓詞とは特定一族を呪う為の祝詞(のりと)

であると考えられるのです。

さて、ここに登場する瀬織津姫なのですが、みシまる氏の神的パワー分散説については恐らく違うであろうと考えます。というのも、秀真伝には一応、瀬織津姫以外のそれぞれの名前についてもその系図がきちんと示されているからです。

 カナサキ → ハヤアキツヒメ(速開都比売)
 ツキヨミ → イフキヌシ(氣吹戸主)
 アカツチ → ハヤフスヒメ(速佐須良比売)

おそらく、この時代で名前の残っている女性は基本的に各家に養女にもらわれた少女神の家系出身者と考えられるのですが、少女神については大祓詞の①で既に呪いが掛けられているので、実はここに登場する姫神はとりわけ強く呪われているとも考えられるのです。

つまり、瀬織津姫は記紀から名前を消されただけでなく「金輪際絶対出て来るんじゃねぇ!」とより強烈に呪いを掛けられた存在ではないかと考えられるのです。

逆に言うと、瀬織津姫は神道の世界観ではそれほどまでに恐れられている存在であり、同時にそれは、古代日本において女性シャーマンとして非常に卓越した能力があったことを指しているとも考えられるのです。

「君の名は」で、年老いた一葉として瀬織津姫の型を出してきたのも、恐る恐るながらもその力にあやかりたい、そのような意図があったのではないか、私はそう思うのです。


* * *

さて、少女神の観点で祓戸四神を眺めた時、一人だけ首を捻る存在がそこにあるのを無視する訳にはいきません。それは「氣吹戸主(いぶきどぬし)」です。名前の語感からもそうですが、秀真伝でも氣吹戸主は男性なのです。

祓戸四神と括りながらその構成は女3人に対し男1人、この違和感はいったい何なのか?そもそもその親であるツキヨミ(月読尊)は、記紀でも殆どたいした記述がありません。謎の登場人物である月読尊とその子である氣吹戸主。今回の少女神といったいどのように絡んでくるのか、瀬織津姫の謎と共にこちらも追っていく必要がありそうです。

画像8:突然メディアに現れたN国の少女
参考:金閣下、ご返信ありがとうございます
この少女のことを私は市杵嶋姫(いちきしまひめ)と呼んでいます


高天原小宮に坐ます姫神の母なる思ひ今ぞ伝えん
管理人 日月土

時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」(2)

※この記事は、前回「時間を結ぶ少女神 - もう一つの『君の名は』」の続編となります。既に「君の名は」を鑑賞されていることを前提にしておりますので、まだの方はネタバレ注意でお願いします。

さて、このアニメ映画もジブリ作品と同様に日本古代史(あるいは日本神話)をそのモチーフに組み込んでいると考えられるのですが、その前提で、次の様な設問を読者の皆様に課題として出していました。

 Q:三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?

この設問へのヒントとして、メソポタミア神話の女神ティアマトとの関連から、どうやら映画に登場するティアマト彗星が伊邪那美命(=伊弉冉尊:いざなみのみこと)を象徴しているらしいという解説を掲載しましたが、今回はこの話を更に掘り下げてみます。

■出会いのシーンは神話そのもの

説明を始める前に、まずは日本書紀に記述されている次の文面をご覧ください。

故(かれ)、二(ふたはしら)の神、改めて復柱(またみはしら)を巡りたまふ。陽神は左よりし、陰神は右よりして、既に遇ひたまひぬる時に、陽神、先づ唱へて日(のたま)はく「妍哉、可愛少女(あなにゑや、えをとめ)を」とのたまふ。陰神、後に和(こた)へて日はく、「妍哉、可愛少男(あなにゑや、えをとこ)を」とのたまふ。然(しこう)して後に、宮を同くして共に住ひて児(みこ)を生む。大日本豊秋津洲(おおやまとあきづしま)と号(なづ)く。

岩波文庫「日本書紀 一」神代上 一書から

こちらの現代語訳は次の様になります。

二柱の神は改めてまた柱のまわりを回った。男神は左から、女神は右から回って出会ったときに、男神がまず唱えていわれた。「おや、何とすばらしい少女だろう」と。女神が後から答えて「おや、何とすばらしい男の方ね」と。その後で同居をされて子を生まれた。大日本豊秋津洲と名づけた。

講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳から

伊邪那岐命(=伊弉諾尊:いざなぎのみみこと)と伊邪那美命の男女神の初めの出会いは、それぞれの回る向き、および発声の順序に問題があり、改めて上記引用の様に回り直したところ、正しく国生みが始まったとあります。

ここで、前回も紹介した三葉と瀧がカワタレ時に山上で邂逅したシーンを改めて見てみます。

画像1:山上で邂逅した瀧と三葉

もうお気付きかと思いますが、このシーンは上述の日本書紀の記述とシチュエーションが酷似しているのです。それを図解したのが下記になります。

画像2:御神体の外周を初めは左回りする三葉(心は瀧)
画像3:互いが見えずすれ違う二人(心が入れ替わった状態)
画像4:すれ違いの後に向きを変え互いに相手の姿を見る二人(心は元の状態)

御神体を中心に瀧と三葉は初めはそれぞれ右回り・左回りの方向に走り出します。しかし、二人はすれ違ってしまう。ところが、ちょうどその時がカワタレ時だというのもありますが、互いの気配を感じた二人は、引き返すため進行方向をそれぞれ左回り・右回りへと変えた時に出会うことができるのです。

これを整理すると次の様になります。

 日本神話:
  御柱の周りを回る
  伊邪那岐命(右回り)&伊邪那美命(左回り) → 国生み失敗
  伊邪那岐命(左回り)&伊邪那美命(右回り) → 国生み成功

 君の名は:
  御神体の周りを回る
  瀧(右回り)&三葉(左回り) → 出会えない
  瀧(左回り)&三葉(右回り) → 出会える

このように、私から見れば瀧と三葉のこのシーンは明らかに日本神話のそれをモチーフにしていると読むことができ、よってここから

 瀧のモデルは「伊邪那岐命」
 三葉のモデルは「伊邪那美命」

と結論付けることができるのですが、実はこの結論ではまだ説明できない設定が残っているのです。それは、三葉の血縁である、一葉、二葉、そして四葉との関係なのです。

■少女神の系譜

このアニメの設定において、三葉の家である宮水家は、代々村の宮水神社を守る神主やの巫女(みこ)を輩出した家とされています。ところが、入婿である三葉の父は、母の二葉の死去後に家を離れ、家に残されたのは、祖母の一葉、三葉、妹の四葉の女性だけの家として描かれています。

この設定だけをみれば、水宮家は明らかに

 女系家族である

ことが窺われるのです。

これは一体どういうことでしょうか?ここで、神話ではない人の歴史として古代を綴る、秀真伝(ほつまつたえ)に従って、伊邪那美命からその後に3代続くアマカミ(上代の天皇)の系図を見てみましょう。

画像5:秀真伝によるイザナギ・イザナミとそれに続く3代
※漢字表記は日本書紀によるもの(瀬織津姫を除く)
※秀真伝ではアマテルカミ(天照)は男性王である

日本の史書は基本的に男系継承を軸に記述されているので、どうしても上図で示すようにになってしまうのですが、ここで注目すべきなのは王権の中心であるアマカミではなく、その后(きさき)の方なのです。

既にティアマト彗星は伊邪那美命の象徴であろうとしているので、同じように映画に登場した宮水家の人員をこの図に当てはめると次の様になります。

画像6:古代系図と「君の名は」の対応

図の中で、特に三葉と四葉の姉妹関係などを見る限り、登場人物がピタリと上代アマカミの歴代皇后の系譜に当てはまることが分かります。ここから類推する限り、どうやら三葉は木花開耶姫(このはなさくやひめ)に該当し、ここから、前回出した設問の答も

 瀧のモデルは「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)
 三葉のモデルは「木花開耶姫」

ということになります。

しかしここでまたもや問題になるのは、どうして、伊邪那岐命・伊邪那美命と瓊瓊杵尊・木花開耶姫の関係を重複させているかなのです。

この映画のラストシーンでは、瀧と三葉が相手に対し同時に「君の名は?」と呼び掛けますが、「君」とは抽象的かつ普遍的な意味で王と后の両方を指していると考えられ、特定の世代に限定されないことが分かります。

ここでぜひ、過去記事「少女神の系譜と日本の王」を読み返して頂きたいのですが、同記事の中では、私は一つの仮説を取り上げています。それは

 古代日本の王権は母系(女系)継承だったのではないか?

というものです。

すなわち、伊邪那美命と木花開耶姫のイメージをここで重ねてきた一番の理由とは

 伊邪那美命と同じ血を継ぐ女性が代々皇后に選ばれてきた

その事実を開示せんがために、あるいは、日本人の潜在意識が既に把握しているこの事実に対して、何か心理的な作用を与えるために、敢えてこのような設定を盛り込んできたのではないかと推測されるのです。

記紀や秀真伝を読む限り、これらの皇后はそれぞれ別の家系を出自に持つ女性ばかりですが(*)、私はこれらも古代史改竄の一つで、実は

 同一家系から、一旦他の有力者の養女に迎え入れていた

のが事実ではないかと考えるのです。その母系継承についての考察をみシまる湟耳氏の著書「少女神 ヤタガラスの娘」では述べているのですが、私も同様にそのルーツが海の向こうの古代朝鮮の伽耶、そして更に遡ること西アジアのメソポタミア周辺に及ぶと見ているのです。

*例えば、栲幡千千姫は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の娘、木花開耶姫は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘とされており、これだけ見れば両者は全く別の家系の出自となる。

また、なぜ后に特定の血筋を求めるのかなのですが、これはみシまる氏も指摘しているように、神と通信する女性シャーマンとしての優れた能力が代々彼女たちに受け継がれており、当時の社会においては彼女たちを后にすることが王権を得る上での絶対条件であったと考えられるのです。

これは、三葉が巫女姿で舞を踊ったり、口噛み酒を造ったりするシーンに象徴されていると見ることができます。現代的な解釈では、そんなのは迷信であったり習慣化した作法でしかありませんが、古代社会において、呪術とは実践科学であり、神の声を聞く彼女たちの能力は共同体運営に欠かせないものであった。彼女たちを后に置くことはまさに自国の存亡に関わる重要なことだったのではないでしょうか。

■三葉とサン

このブログの読者様なら既にご存知の通り、ジブリ映画「もののけ姫」に登場したサンの歴史モデルが「木花開耶姫」であり、アシタカのモデルが「瓊瓊杵尊」及び「天若彦」(あめわかひこ)のダブルキャストであることは既に結論が出ています。

関連動画:モロともののけ姫の考察

つまり、「君の名は」における三葉の役柄は「もののけ姫」のサンの焼き直しということになります。

画像7:三葉とサン(どちらも3)
サンのキャラデザインもどこか古代巫女風である

私がここで問題にしたいのは、なぜ日本のアニメ映画はこの時代の人物を執拗にモデルに取り上げるのか、果たしてその点なのですが、それについてはもう少し分析を進めて行く必要がありそうです。

おそらく、前回とりあげた日本のメディア作品の大テーマ「時間の循環と過去改変」に関係あるのだろうと今は予想しています。


浜辺にてすくう真砂の数よりも幸多くあれ姫宮の君
管理人 日月土

時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」

今月28日、11月に公開される新海誠監督の新作「すずめの戸締り」にタイアップしてか、5年前の大ヒットアニメ「君の名は」が放映されました。

 関連記事:新海アニメの完成数 

この作品、絵が美しく物語も詩情豊かにまとまっているので、あまりくさすような事を書きたくないのですが、それでも日本のヒットアニメに共通する基本パターンはしっかりと踏襲しており、それについてはやはり指摘しておかなければならないでしょう。

以下、このアニメ作品の構造解析について説明して行きますが、既に同作品をご覧になっていることを前提に進めて行きます。まだ観たことがないという方は、ぜひ鑑賞してから読み始めることをお勧めします。

画像1:「君の名は」公式ページから

■時間の循環(ループ)

この物語は、3年前の三葉(みづは:主役の女子高生)と現在に生きる瀧(たき:主役の男子校生)との時間を超えた奇妙な交流から始まります。そのやり取りの手段も、時より二人の心と身体が入れ替わった時に、互いに残した日記を読み合うという、極めてSFファンタジー的な設定となっています。

画像2:瀧と三葉、出会いの名シーン

二人が直接顔を見合わすシーンは、それこそ山上での短い「彼は誰時(かわたれどき)」と、ラストのあの感動的な出会いのシーンだけなのですが、その二人の時間的・空間的距離の遠さこそが、この少年少女の仄かな慕情を募らす大きな要素となっています。この辺の演出はさすがだなと私も感心することしかりでした。

この、可愛らしくも美しい恋慕の情に観る人は心惹かれるのだと思いますが、ところがどっこい、ここにもお約束のテーマがしっかりと隠されているのです。そのテーマが何であるかは、三葉の祖母である一葉(ひとは)のセリフを通して次の様に語られています。

左から祖母の一葉、母の二葉(ふたは)、妹の四葉(よつは)

三葉、四葉、結びって知っとるか?土地の氏神様を古い言葉で結びって呼ぶんやさ。この言葉には深い意味がある。糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び、全部神様の力や。わしらの作る組紐もせやから、神様の技、時間の流れそのものを表しとる。寄り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って途切れ、また繋がり、それが結び、それが時間。

この「時には戻って途切れ、また繋がり、それが結びそれが時間。」という部分はたいへん重要で、これは時間の流れというものは永遠普遍ではなく、切れたり繋がり直ったりすると言ってることです。

物語の中でも、3年先の未来の人である瀧の介入により、ティアマト彗星の落下により失われるはずだった三葉の命が救われる、すなわち過去改変が行われるのですが、ここには、

 ・未来から過去への時間の循環
 ・過去の事実への介入

という、日本アニメ・映画作品で良く見られるテーマがしっかりと盛り込まれているのです。同様なテーマを表現する作品の例を挙げれば

 ・ドラえもん
 ・火の鳥
 ・時をかける少女
 ・涼宮ハルヒの憂鬱
 ・エウレカセブン AO
 ・シュタインズ・ゲート
 ・魔法少女まどかマギカ
 ・Re:ゼロから始める異世界生活

海外作品まで目を向ければ

 ・バック・トゥ・ザ・フューチャー
 ・ターミネーター

など、他にも色々あります。また「時間の循環」を「ループ」と置き換えれば次の様な作品もその範疇に入って来ます。

 ・テラ戦士Ψボーイ
 ・マトリックス・レザレクション
 ・鬼滅の刃 無限列車編

世の中の全てのメディア作品に目を通すほど私も暇ではありませんが、これまで観てきたものだけ取り上げてもこの数ですから、「時間循環と過去改変」なるテーマがメディア表現に如何に多く埋め込まれているのかお分かりになると思います。

画像4:メディア作品はループばかり
1985年の日航123便事件、2011年の東日本大震災、2020年の
コ〇ナパンデミックなど、大災厄の発生年を基準にまとめてみた

要するに「君の名は」も、メディア業界における大テーマに沿った作品であり、そこにはまた、人を感動させる以外の別の目的も仕込まれているのだと考えるべきなのです。

■日本神話との関連性

アニメ作品に見られる日本神話との関連性については、これまで、スタジオジブリ作品の「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」についてその神話的・古代史的分析を試みてきました。今回の「君の名は」についても、主人公の三葉の家が代々水宮(みずみや)神社を守る巫女の家系であるという設定が、何やらその関連性を臭わせています。

作品の中では三葉が巫女として鈴を鳴らしながら神楽を舞ったり、口噛み酒を造るシーンが登場します。余談ですが、そもそも「醸す」とは「噛む」から来ている言葉で、「かむ」はそのまま「神(かむ)」に通じ、本来は神聖な行為であることを意味してます。それについて一葉おばあちゃんが語るシーンもあり、このようなディテールの細やかさはこの作品の大きな特徴でもあります。

さて、読者の皆様におかれましては、分析を進める前に、まず次の点について考えてみてください。

ジブリ映画「もののけ姫」の構造分析では、その主人公であるアシタカとサンがそれぞれ日本古代史(あるいは日本神話)における「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」および「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」をモデルにキャラクタ設定されていると結論を得ました。詳しくは過去記事をご覧になってください。

そこで同じように「君の名は」が日本古代史をモデルにしていると仮定した時、

 ・三葉のモデルは誰なのか?
 ・瀧のモデルは誰なのか?

これを考えてみて欲しいのです。

三葉(みづは)という名前の響きから、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)、古事記では弥都波能売神(みづはのめのかみ)と表記される女性神が連想されますが、この神様、両書の記述に共通しているのが、伊邪那美命(いざなみのみこと)の尿(ゆまり:おしっこ)から和久産巣日神(わくむすびのかみ、男神)と共に誕生したと記述されいる点です。

「むすび」とは、上述の一葉おばあちゃんのセリフにも出てきており、この語呂による関連性の推測が全く的外れということも無さそうです。

他に似たような名前も見つからないし、だったら、三葉のモデルが罔象女神で、瀧のモデルが和久産巣日であるとしても良さそうなのですが、それだと、一葉、二葉、四葉など近親者との関係性がうまく説明できませんし、わざわざ二人の主人公の超時空的なめぐり逢いを強調する意味も見出せません。どうやらこれについてはもうひと捻りする必要がありそうです。

■ティアマト神とは何か

この映画の冒頭は天空を流れる美しく輝いて流れるティアマト彗星のシーンで始まります。もしもこの映画に神話的モデルがあるならば、当然ですが最初のこのシーンに何か大きな意味が込められていると考えられます。

画像5:冒頭で表現されるティアマト彗星

ティアマトとはメソポタミア神話に登場する女神で、多くの神々を誕生させた原初の神、海の女神とされるも、その存在については抽象的に描かれていることが多く、容姿などについては蛇神、ドラゴン、など異形の神とも考えられていたようです。

バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』のあらすじについて、Wikiの解説は次のように記述しています。

ティアマトはアプスーを夫として多くの神々を誕生させたが、新しい世代の神々の騒々しさに耐えられず、ついに神々の殺害を企てる。

 (中略)

ティアマトは一人でマルドゥクに挑み彼を飲み込もうと襲い掛かったが、飲み込もうと口を開けた瞬間にマルドゥクが送り込んだ暴風によって口を閉じられなくなり、その隙を突いたマルドゥクはティアマトの心臓を弓で射抜いて倒した。

ティアマトを破ったマルドゥクは「天命の書版」をキングーから奪い、キングーの血を神々の労働を肩代わりさせるための「人間創造」に当て、ティアマトの死体は「天地創造」の材料として使うべくその亡骸を解体。二つに引き裂かれてそれぞれが天と地に、乳房は山に(そのそばに泉が作られ)、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じたとされる。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。

引用元:Wikipedia

この世に多くの神々を生み出したティアマトは、メソポタミア神話の英雄であるマルドゥクとの闘いに敗れはしたものの、その死骸から世界の原型が生まれたとされています。

多くの神々の生みの親となり、死んでなおその身体から天地が創造された海の女神!?大雑把ですが、これと似たような話、何だかどこかで聞いたことがないでしょうか?

天地創造とはまさに「国生み」であり、死とは「黄泉の国」へと去ること、そしてその肉体や排泄物から多くの神々を生み出したとは、前述の罔象女神で述べたように、記紀の神代に記された伊邪那美命の描写に極めて類似しているのです。

ここで、物語に登場する幾つかのキーワードは次の様に繋がってくるとは考えられないでしょうか?

 ティアマト彗星 → ティアマト神 → 伊邪那美命
 水宮 → 水の神 → ティアマト神 → 伊邪那美命
 三葉(みづは) → 罔象女神(みづはのめ)の親 → 伊邪那美命

そしてまた、物語冒頭にティアマト彗星が登場するということは、

 全ては伊邪那美命から始まる

の意であり、古代史における伊邪那美命からの繋がりを辿ることで、三葉のモデルがいったい誰なのか、それを特定するための道筋が見えてくるのです。


* * *

このテーマは2回に分けて記述したいと思います。読者様へは

 三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?

という質問を投げかけておりますが、私が予想している答が必ずしも正解とは限りませんので、どうぞ皆様も一緒に考えて欲しいのです。

その際は、どうして「身体と心の入れ替わり」という表現が使われたのか、また、どうして二人が互いを「君(きみ)」と呼ぶのか、その辺も併せて考えてみてください。

これらを齟齬なく網羅できる解答こそが、おそらく正解なのだと思います。そして最も肝心なのが、どうして日本古代史を執拗にそのモチーフに使おうとするのか、それも時間の循環と重ねて、その辺の制作者側の真意なのです。


時越えて打ち寄す波の海原に何をか結ばん三島姫神
管理人 日月土

加耶展に見る古代朝鮮と日本

アニメ映画「もののけ姫」の設定に、日本古代史がテーマとして組み込まれているのではないかと指摘してから1年以上が経過しました。

 関連記事:愛鷹山とアシタカ

その分析の中でもやもやと引っ掛かっていたのが、カヤという少女の存在です。呪いを掛けられたアシタカは、その呪いを解く為に村を離れることになるのですが、懇意にしていた村の少女「カヤ」と決別することになります。

画像1:アシタカとカヤ
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

このカヤとアシタカのモデルとなった日本神話上の登場人物は

 アシタカ: 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
 カヤ:   栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)

とまでは分析できたのですが、瓊瓊杵尊が富士山の静岡県側にある愛鷹山(アシタカヤマ)からその存在が比較的簡単に特定できたのに対し、どうして栲幡千千姫のことを「カヤ」と呼ぶのかはこれまで不明のままでした。

というのも、「カヤ」という呼び名からは古代朝鮮に存在したとされる伽耶連合王国との関連性が想起されますし、画像1を見ればお分かりのように、カヤの被っている帽子の形状は、朝鮮式の笠帽子「갓(カッ)」を表現しているようにしか見えません。どうしてそのような思わせ振りな役名にしたのか、今一つその理由が釈然としなかった点が挙げられます。

神話ではなく、実在した王族達のリアルな記録として日本古代史を記述する「秀真伝(ホツマツタエ)」によると、栲幡千千姫は第7代高皇産霊(タカミムスビ)に就いた高木(タカギ)の娘で、その高木は現在の東北(宮城県多賀城市付近)に宮を構えていたとありますので、アシタカの元居た村が東国にあるという設定とは上手く符号します。

しかし、高木の娘である栲幡千千姫にどうして東北とは全く明後日の方角にある古代朝鮮王国の名が付けられたのか、どう考えてもその必然性が思い付かず謎のままだったのです。

そして、この栲幡千千姫はその名が示す通り「尋の神隠し」のヒロイン「千尋」として再度モデル化されるのですが、ここからも、栲幡千千姫が日本古代史において重要な役割を担っていることが窺われるのです。つまりは、伽耶とは古代日本を語る上で無視できない重要トピックであるとも読み取れるのです。

 関連記事:千と千尋の隠された神

■加耶展が絶賛開催中

そもそも、私自身が伽耶なる古代朝鮮王国連合について大した知識もなかったので、これ以上の探求はストップしていたのですが、そんな折、たいへんタイムリーな企画展示が、この10月4日から千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で開催されるのを聞いて思わず小躍りしました。

画像2:加耶展のポスター
(展示では「加耶」の漢字表記に統一されています)

 関連サイト:国立歴史民俗博物館公式ページ

そこで、博物館へ早速出かけてきたのですが、残念ながら展示物について論評できる程の力量が私にはありませんので、ここではその時の様子を簡単にお知らせするのみに留めたいと思います。

まずは、展示を理解するために必要なバックグラウンドの知識からご案内しましょう。

画像3:伽耶諸国の位置関係
(展示図録から引用)
画像4:東アジア略年表
(「時空旅人」11月号から引用)

以下、展示室内で撮影した写真を幾つかご紹介します(写真撮影可です)。暗い室内の撮影の為、ピンボケ写真ばかりとなってしまいましたがご容赦ください。

画像5:伽耶と言えば「鉄」
発掘された鉄器生産の道具類
画像6:美しい伽耶の土器類
左上から時計回りに金官・阿羅・小・大の各伽耶
画像7:伽耶で発掘された北九州産の銅矛
画像8:王冠及び装飾品
画像9:日本国内の発掘物にも伽耶交易の影響が見られる
画像10:「新撰姓氏録」(しんせんしょうじろく)に書かれた朝鮮由来の氏
第10代崇神天皇の和風諡号が記されており、その時期に半島から日本に渡ってきた氏族の記録が書かれているようだ

他にも展示品はありますが、そちらについてはぜひ博物館に足を運び、実際にご覧になって頂ければと思います。

展示自体は比較的小規模で、説明文の全てに目を通しても1時間少々で見て回れるでしょう。しかしながら、日本国内ではなかなかお目にかかれない貴重な展示ばかリで、たいへん見応えがあると言えます。

日本古代史において何かと登場する伽耶ですが、文献や写真だけでは当時の様子をイメージするのは極めて困難です。しかし、このように実物を見ながらだと頭に入って来る印象や情報量が全く異なってきます。

古代日本の成立史を考察する上で朝鮮半島史は欠かせないものであり、それ抜きでいくら「神国日本!」などと叫んだところで虚しいだけです。もしかしたら「もののけ姫」はその点についても示唆しているのかもしれません。

反日だの嫌韓だのと狭い了見でいがみ合っていては、私たち日本人だけでなくお隣韓国の人々にとっても正しく民族のルーツを知るという貴重な機会を失うだけです。近現代の偏狭な歴史観に囚われた現在の日韓関係を払拭する上でも、日本と韓国の博物館が協力して実現させた今回の展示はたいへん有意義なものであると評価できます。

以上、読者の皆様には同展示の見学を強くお勧めします。

むかし日本は三韓と同種なりと云事有し。彼書を桓武の御代に焼すてられしなり

(北畠親房 「神皇正統記」より)


管理人 日月土

古代鈴鹿とスズカ姫(2)

前回の「古代鈴鹿とスズカ姫」では、三重県鈴鹿市が非常に古代遺跡の多い土地であることを簡単にご紹介しました。

しかし、全国に数ある遺跡地帯に比べるとその認知度はあまり高いと言えません。私も最近になって調査を始め、初めてこの事実を認識するに至りました。

一般的に鈴鹿の歴史スポットと言えば、観光パンフレットにもあるように、市の北西部、鈴鹿山脈の麓にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)を思い出す方がほとんどでしょう。ここは、10年位前にスピリチュアリストの故船井幸雄氏によってパワースポットとして紹介されたことで多くの人に広まったと聞いています。

画像1:観光パンフレットに紹介された鈴鹿の歴史スポット

前回はこの有名ポイントについて殆ど触れていなかったので、まずは椿大神社についてご紹介したいと思います。

■猿田彦大神の社に祀られたスズカ姫

この4月に訪れた時はあいにく雨にたたられ、あまり良い写真が撮れませんでした。以下掲載する写真は、昨年10月に現地を訪れた時のものであるとお断りしておきます。

画像2:椿大神社の参道入口

椿大神社本殿に向かう参道の鳥居の前に立つと、大きく育った木が参道を挟み、そこそこ厳かな雰囲気を醸し出しています。

画像3:椿大神社の御祭神

撮影日は日差しが強く、画像3の御由緒書きが良く読み取れません。ここに祭神の名を書き出すと次の様になります。

 主祭神 猿田彦大神 (さるたひこおおかみ)
 相殿神 皇孫 瓊々杵尊 (ににぎのみこと)
     御母 栲幡千々姫命 (たくはたちちひめのみこと)
 前 座 行満大明神 (ぎょうまんだいみょうじん)

はい、既にここで、本ブログで行ってきたアニメ映画「千と千尋の神隠し」の構造分析で、主人公「千尋」の歴史上のモデルとして推定される栲幡千々姫こと「スズカ姫」の名前が見られるのです。もちろん、その姫神について調べるためにここを訪ねた訳なのですが。

そして、参道の左右に摂社や古墳、祭場を見ながら直進すると、入道ヶ岳(にゅうどうがたけ)あるいは高山を後背に、そこには立派な本殿が現れます。

画像4:椿大神社本殿

4月の調査では、雨にも拘わらず多くの方々が参拝に来られており、ここが人の集まる人気パワースポットなのだと実感されます。もちろん、本当にパワースポットなのかどうかは私には分かりませんが。

さて、猿田彦の名前が登場する以上、伊勢の猿田彦神社同様、その相方となった女神、猿女(さるめ)こと天鈿女(あめのうずめ)もどこかに祀られているはずなのですが、わざわざ探すまでもなく、本殿の東側に隣接するスペースに「椿岸(つばきぎし)神社」が置かれており、そこに天鈿女が祀られていました。

画像5:椿岸神社

さて、ここで椿岸神社の祭神について少々疑問が湧いてきます。

猿田彦・天鈿女は一対の夫婦神として考えられていますし、瓊々杵尊も天孫降臨の際に猿田彦に先導されたと神話にありますから、ここに祀られていてもおかしくありません。

しかし、いくら身内とはいえ、その母である栲幡千々姫(別名スズカ姫)まで合祀されるのはさすがにその理由が何であるのか気になります。その理由については、椿大神社の公式ページに次の様に書かれています。

人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相殿として社殿を造営し奉斎された

https://tsubaki.or.jp/yuisyo/

つまり、倭姫(やまとひめ)のご神託により合祀さたということのようです。

これに加え、もう一柱の行満大明神については。椿大神社の公式ページには次の様に書かれています。

大神の神孫「行満大明神」は修験神道の元祖として、本宮本殿内前座に祀られ、役行者を導かれた事蹟など、 古来「行の神」として、神人帰一の修行・学業・事業・目的達成守導のあらたかな神として古くより尊信されております。

https://tsubaki.or.jp/yuisyo/

要するに、猿田彦の子孫で修験神道を開いた神様(人?)ということのようなのですが、境内には「高山土公神陵」という(おそらく)古墳があり、「土公」(とのこう)は猿田彦の子孫とも言われてますから、猿田彦の子孫が行満大明神としてここに祀られても、特に違和感はありません。

しかし、秀真伝(ほつまつたえ)の研究者、池田満氏の解釈によると、スズカ姫とこの地との関係性は、これとはずい分違うようなのです。

(1) 物欲に拘泥しない生き方をススカ(スズカ)という。

人が生活していると、何によらず欲しい欲しいと物欲にかられることが多い。しかし本来、人とは、そのタマシヰのタマはアメの中心から来たって、また元へ戻るのであるから、必要以上の物欲に取りからめられてしまうのは愚かなことといえる。物欲から自由になるこの考え方をススカ(スズカ)という。物欲に取りつかれ過ぎると、本来の人の幸せを 見誤ってしまい、楽しむことができなくなる。また他人の羨みを買ってしまうことになる。

物欲にとりつかれた状態をスズクラという。ススカ(スズカ)の考え方を解いたフミをススカノフミという。

(2) 九代アマカミのオシホミミのキサキ(后)となった、タクハタチチヒメのイミナをスズカヒメという。

アマテルカミから名付けてもらったこのスズカの名は、(1)の意味を受けていた。チチヒメの夫となった九代アマカミのオシホミミは比較的若くしてこの世を去ったため、チチヒメは義父のアマテルカミの老後をお世話することになる。伊勢神宮の内宮に相殿神(あいとののかみ)として萬幡豊秋津姫命(タクハタチチヒメのこと)が祭られているのは、その故である。そしてチチヒメの崩御に当たっては、現、三重県鈴鹿市坂下の三子山に亡骸が納められ、スズカノカミと尊称されて、後に片山神社としてまつられてゆく。

池田満著 ホツマ辞典

これを読むと、スズカ姫が同地と関係を持つのは、鈴鹿市内(現在の鈴鹿峠の近く)に亡骸が納められたという事だけで、「スズカ」の名の由来についても、秀真伝にある猿田彦の別名「ウツクシキスズ」との関係には特に触れられておらず、椿大神社との関係性も含め、猿田彦とは直接関係あるようには説明されていません。やはり、倭姫のご神託一つで合祀が決まったのでしょうか?

故事伝承の類は文献によって中身が大きく異なるものですが、ここでは、少なくとも鈴鹿という土地とスズカ姫の間にはなんらかの所縁があると、ざっくりと捉えておく方が良いかもしれません。

■丹生と椿大神社

前回の記事では鈴鹿周辺の地形図を掲載しましたが、そこから、椿大神社の周辺を次に切り出します。

画像6:椿大神社周辺の地形図

この図で注目するべきなのは、椿大神社の北側の尾根を越えたすぐその先に、旧水沢(すいさわ)鉱山があることです。

この水沢鉱山から採取されていた鉱物とは

 丹生(にう)

すなわち水銀(Hg)なのです。

丹生と言えば、白粉(おしろい)の原料、あるいは鳥居などに塗られる朱(しゅ)など顔料としての利用、あるいは大仏などのメッキ用素材として、古くから利用価値の高い鉱物として知られています。

水俣病やイタイイタイ病など、現在では水銀に毒性があるのは良く知られた話ですが、昔は不老長寿の秘薬として、朱が丹薬・仙薬として飲まれていたそうですから何とも恐ろしい話です。

実際に、水沢鉱山から流れる内部(うつべ)川は丹生毒に汚染され、水銀由来の奇病に河川周辺の住民が苦しんだと言う記録もあるようなのです。

私が指摘したいのは、椿大神社が現代のスピリチュアリストが言うような神聖なパワースポットとして初めから創建された土地なのかと言う疑いなのです。

今も昔も人には生活があり、その中でも利用価値の高い丹生鉱山の発見はその土地に住む人々の生活を大きく変え、その土地を巡る権益やそれを巡る争いなどを生じさせたと考えられるのです。

つまり、椿大神社がある場所とは、元々は水沢鉱山利権を巡る勝利者一族の権威を象徴する土地だったのではないかと考えるのです。この土地が丹生によって成り立っていたと考えられる一つの証左として、椿大神社の後背の山が

 入道ヶ岳=にうどうがたけ

と書けることがあります。

このように、丹生の生産こそが古代鈴鹿の性格を決定付ける重大因子ではなかったのかと想定する方が、より現実的に鈴鹿の古代の様相を理解できるのではないでしょうか。

さて、丹生が登場したところで、次に考えるべきは丹生とスズカ姫がどのように関係してくるのかという点です。

もしかしたら全く関係などないかもしれませんが、ここで再び「千と千尋の神隠し」を観返すと、次のシーンがスズカ姫と鈴鹿を繋ぐヒントになると考えました。

画像7:千尋に偽金(ニセキン)を渡すカオナシ

これがどういうことなのか、詳しくはメルマガで解説したいと思いますが。ヒントとしてWikipediaから次の一節を引用します。

賢者の石

錬金術における最大の目標は賢者の石を創り出す(あるいは見つけ出す)ことだった。賢者の石は、卑金属を金などの貴金属に変え、人間を不老不死にすることができる究極の物質と考えられた。また後述の通り、神にも等しい智慧を得るための過程の一つが賢者の石の生成とされた。

 (中略)

この作業で材料は黒、白、赤と色を変える。賢者の石は、赤くかなり重い、輝く粉末の姿であらわれるとされた。この賢者の石を、水銀や熱して溶かした鉛や錫に入れると大量の貴金属に変じたという。赤い石は卑金属を金に、白い石は卑金属を銀に変えるとされた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93


赤石青石白い石、緑の石は奴奈川の石
管理人 日月土

少女神の系譜と日本の王

今回の記事を書き進める前に、最近、知人に勧められて読んだ歴史読本を紹介したいと思います。

歴史、特に古代史に関しては多くの研究者が様々な説を面白おかしく持ち出すので(私も他人のことは言えませんが)、この手の読み物は基本的に避けていました。しかし、この書籍だけは、知人の勧めだけでなく、歴史研究のアドバイザーであるG氏からのお墨付きもあったので、どんなことが書かれているかちらっと読んでみたところ、私がこれまでブログに書いてきたこととあまりに符号する点が多く、ちょっと驚いてしまいました。

本のタイトルは「少女神 ヤタガラスの娘」、作者は「みシまる 湟耳」さんで今年の1月に幻冬舎から出版されたものです。

タイトルに「ヤタガラス」と付いていることから、どうしても陰謀論系の匂いを想像してしまうのですが、実際に読んでみると、文献類の精読と緻密な考察によって組み立てられた、非常に重厚な内容であることが分かります。

それほどページ数がある本ではないのですが、さらっと読めるような代物ではないので、私も読了まで少し時間がかかってしまいました。

画像1:少女神 ヤタガラスの娘

■少女神とジブリの暗号

さて、これまでの(神)ブログ記事とこの本に書かれた主張のどの辺が重なってくるのか、実際に同書を読んで頂かないと詳しく説明するのは難しいのですが、それでも、同書のエッセンスは冒頭の導入部分に述べられているので、ここでは同部分からの引用を掲載したいと思います。

 三人。少なくともヒミコと目される姫の名前が挙げられている。

 中でもふたりの少女に、出雲と大和の王が婿入りをしており、その少女たちは共通の名を持っている。

 出雲、大和といえば、日本人なら誰もが知る現代にも逓なる古代王朝だが、この出雲「最期」の王も、大和「最初」の王も、実は同じ氏族の少女へ婿入りしている事実は意外なほど知られていない。いや意図的に隠され、目を逸らされている、と言うべきか。

「出雲最期の王」イナバの白兎で知られる大国主の子とされるコトシロヌシは、神津島や紀伊の神社では少女の方の氏姓を名乗り「☆☆☆明神」として祀られている。

 なぜ、出雲の有名な国主が、わざわざ少女の氏族の名籍の方を名乗りたかったのか?

 「大和最初の王」神武死後には、皇位継承のため、その少女を奪い合った記録が残されるほどだ。このことは当時神武の子というだけでは権威としては弱く、少女の氏族の籍を伴わなければ「王」として認知される説得力がなかった事実を示している。

 カリスマは出雲の王にでも大和の帝にでもなく、「神の御子」と記される少女神の方にこそあった。

 この出雲にも、大和にも、双方にモテモテだった少女神とはいったい何者か?

 コトシロヌシが「主」から「神」へ神格を上げられた方法が『日本書紀』に記されている。すなわちワニに化身し、「神の御子」と記される「八咫烏」の娘=活玉依姫へ近づき婿に成ったと。大和初帝神武も「神の娘」がいると知り、自ら少女神の元へ赴き婿と成ったと記されている。

 この少女神は、出雲王や大和帝より遥か以前から「神の御子」として崇められていた。

みシまる湟耳著「少女神 ヤタガラスの娘」(2022)幻冬舎より

これを読んでいただければお分かりになるように、古代皇統の権威は特定家系である「☆☆☆」家の少女の元へ入婿することによって引き継がれてきたのだと述べているのです。

神様の子孫などというファンタジーは別として、一般的に天皇家は男系相続と信じられていますから、この主張は多くの方々にとっては驚くどころか、噴飯物であると感じられるかもしれません。

しかし、私が驚いたのは、この主張こそが前々回の記事「男神猿田彦の誕生」で伝えたかったことである点なのです。つまり、現在私たちが目にする日本神話とは、権威の継承について

 後世になって女系から男系に書き換えられたもの

ではなかったのかということなのです。

古代社会の在り方を同じように考えている方がいらっしゃるのを知り、私も非常に嬉しいのですが、私が漠然と「古代王家の継承とは本当は女系なのではないか?」と漠然と考えていたところに、「☆☆☆」家と具体的な氏(うじ)まで特定されたみシまる氏の分析力には脱帽するしかありません。

※「☆☆☆」が何を指すのかはぜひ同書を読んでお確かめください。

これまで、本ブログではシブリ作品の「もののけ姫」、そして「千と千尋の神隠し」が日本神話を元ネタに作られ、それも裏の裏まで知り尽くしている古代史の専門家によって考証されているだろうと予想していました。

ここで、今回のみシまる氏の指摘を踏まえ、改めて同ジブリ作品に登場するキャラクターと史書に登場する歴史上の人物の対応関係を下図にまとめてみました。

画像2:ジブリの女性キャラと史書に登場する女性たちの対応

作品を良く見れば、この二作品の物語を主導するのは「もののけ姫」のサンであり、「千と千尋の神隠し」の千尋という二人の少女です。そして周辺の主要キャラも女性ばかり、つまり女性こそが両作品の主役であることが分かります。

※ハクとカオナシはチヂヒメの双子の片割れを指すと考えられます。詳しくは過去の記事をお読みください。

この対応関係を見れば分かるように、本来主役として立てるべきなのは、これらの女神の相方となった皇祖であるニニギノミコト(アシタカ)であったり、作品に登場すらしないサルタヒコ・オシホミミ・神武天皇など、神話の主たる男神たちなのです。

天皇家の始祖とされる男神がここまでないがしろにされる描写、これはすなわち、古代社会においては、みシまる氏が主張するように特定の女系家系こそが真の権威を有する一族であったことを意味するのかもしれません。

■母系を追う

さて、ここで母系による血統こそが重要だとすれば、アニメに登場した媛神たちの、父ではなくその母が誰であったのかが問題になります。ここで秀真伝の系図を租を辿ってみると次の様になります。

 サルメノキミ     → 不明(父:不明)
 タクハタチヂヒメ   → 不明(父:タカギ)
 コノハナサクヤヒメ  → シタテルヒメ→イサナミ→不明(父:トヨケ)
 ヒメタタライスズヒメ → タマクシヒメ→不明(父:ミシマ、ミソクヒ)

※コノハナサクヤヒメの実父はオオヤマスミではなく、本ブログの結論であるアチスキタカヒコネであると仮定しています。前者の場合やはり母不明となります。

このように秀真伝も父系中心に記述がなされており、母系を追ってもすぐにその系統が見えなくなってしまいます。

これを逆に捉えれば、限られた母系一族が后(きさき)を輩出していたとも考えられ、そうなると古代王家はその一族の娘に婿入りすることによって王権を得ていたとも考えられるのです。この結論は「ヤタガラスの娘」の主張とも辻褄が合ってきます。

特に注目すべきはイサナミ(一般にはイザナミ)で、国生み神話の主人公にされたこの古代皇后と他の女性たちが同じ母系の血を継いでるとすれば、まさに母系によってこの国の初期の王権が成立していたと言えなくもありません。

そうなると、日本神話の次の箇所が非常に重要な意味を持ってきます。日本書紀から次を抜粋します。

そこでオノコロシマを国中の柱として、男神は左より回り、女神は右から回った。国の柱をめぐって二人の顔が行きあった。そのとき、女神が先に唱えていわれるのに、「ああうれしい、立派な若者に出会えた」と。男神は喜ばないでいわれるのに、「自分は男子である。順序は男から先にいうべきである。どうして女がさきにいうべきであろうか。不祥なことになった。だから改めて回り直そう」と。そこで二柱の神はもう一度出会い直された。

講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳

男神(イサナキ)と女神(イサナミ)との国生みシーンですが、これは女神が最初に声かけしたことを強く否定しており、主導権は女性にはないと言ってるようにも取れます。

またここで、イサナキが黄泉の国から逃げ帰る次の有名な千引の磐のシーンを見てみましょう。

これが大きな川となった。泉津日狭女(よもつひさめ)がこの川を渡るうとする間に、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)はもう泉津平坂(よもつひらさか)につかれたともいう。そこで干引きの磐で、壱の坂路を塞ぎ、伊奘冉尊(いざなみのみこと)と向い合って、縁切りの呪言をはっきりといわれた。  そのとき伊奘冉尊がいわれるのに、「愛するわが夫よ。あなたがそのようにおっしゃるならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ締め殺そう」と。伊奘諾尊が答えていわれる。「愛するわが妻が、そのようにいうなら、私は一日に千五百人ずつ生ませよう」と。そしていわれるのに、「これよりはいってはならぬ」としてその杖を投げられた。

講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳より

このシーンでははっきりと男女の縁切りが宣言されています。これにより、女神であるイサナミは永遠に黄泉の国の住人となってしまうのですが、これはまさしく

 后の力を封印する

行為そのものであり、これこそが、後世に行われた母系継承から父系継承へと王権システムを変更した史実を示す史書の暗号と捉えることができます。それと同時に、それまでの母系王権に対する強い否定感の表現、あるいは「呪い」とも取れるのです。

以上から、古代日本が母系王権の国であったことがより確からしくなってくるのですが、そうなると問題になるなのが、

 なぜ父系王権に切り替える必要があったのか?

その理由と、現代においてもジブリ映画など多くのメディア作品を通して

 母系王権時代の古代女性を暗示的に取り上げる理由は何か?

という2つの点なのです。

実はこれ、古くから行われてきた「歴史改竄計画」の一環であり、加えて、母系王権時代をことさらちらつかせるのは、古代巫女でもあっただろう彼女たちの何か呪術的な能力と関連することが予想されるのです。

同書には、そのタイトルともなった八咫烏(ヤタガラス)と古代海洋民族、そしてこれら少女神との関連性が考察されているのですが、そちらで示唆されてた内容も無視できるものではなく、これについても本ブログにて追って取り上げたいと考えています。

画像3:香良須(カラス)神社 愛知県豊田市にて撮影


国始め烏追ひたり市木津へ求む媛神現れましを
管理人 日月土

男神猿田彦の誕生

過去行われた大掛かりな歴史改竄計画によって、現存する史書の殆どが書き換えられている。しかしながら、正確な史実に辿り着けるよう、あるいは完全にそれが忘れ去られないよう、史書編纂者の工夫によって史実が巧みに暗号化され、文書記録となって残されている。

それが、現在目にすることのできる日本書紀や古事記、その他の史書的文献の実態であるとするのがこのブログの基本姿勢です。

これらに加え、私などよりもはるかに解読が進んだ集団によって脚本がなされているだろう、ジブリアニメなどのメディア作品も、今では重要な史書解読のツールとなっています。

アニメ作品の分かりやすさについつい甘え、いつの間にかアニメ解説ブログになりかけているのが悩みの種ですが、今回も前回に続き、アニメ「千と千尋の神隠し」の表現をベースに、伊勢の猿田彦神社に関する考察を続けたいと思います。

■内削ぎの猿田彦神社

画像1:伊勢の猿田彦神社

上の写真は前回の「伊勢の油屋と猿田彦」でも掲載したものですが、少し日本神話や神社の造形に詳しい方なら「おやっ?」と思われたかもしれません。

それはこの神社の千木が内削ぎになっているからです。一般的に千木の切り口が垂直(外削ぎ)の場合は男神、水平(内削ぎ)の場合は女神が主祭神だと言われていますが、記紀では猿田彦は男神として描かれており、その猿田彦を祭神とする神社が内削ぎなのはちょっと違和感を覚えます。

画像2:内削ぎの猿田彦神社

一方、千木の形状で祭神の男女を判別するのは俗説だとも言われており、千木の様式も公式には既定されていないようです。ですから、これを以って特に不思議がる必要もないのですが、手水舎での柄杓の持ち方や拝殿前での礼の作法など、何かと参拝形式が語られる神社で、建築様式において祭神の男女の区別が曖昧なのは面白いと言うか、不思議な気もします。

これは、神社の世界ではとっくにSDGsだったということでしょうか?それならば、日本神道で天照大神(あまてらすおおみかみ)が女神であると強調する必然性は全くないと思うのですが、いかがでしょうか?

そもそも、明治期に国家神道が始まるまでは、神社とは土地のものであり統一された様式などなかったと言います。現在の様にある程度様式を揃えるに当たっては、西欧キリスト教の教会システムが参考にされたとも言いますから、神社の造りを見て日本の伝統を云々するのはそもそもお門違いなのかもしれません。

それでも祭神の性別が気になったのは、今回分析対象としてるアニメ映画「千と千尋の神隠し」の主人公が女の子(千尋)であり、それにも拘わらず、物語のモデルとなった古代史を追いかけると、千葉県銚子のケースだけでなくここ伊勢でも「男神」猿田彦が出て来てしまうからです。

■謎の登場人物ハク

映画「千と~」では千尋の他に、もう一人準主人公とも言えるキャラクター「ハク」が登場します。

画像3:呪術を使うハク(ニギハヤミコハクヌシ)
©︎2001 Studio Ghibli・NDDTM

これまでに、主人公の「千尋」が古代史上の人物である栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)をモデルとし、重要神様キャラ「顔なし」が栲幡千千姫の双子の姉妹ではないかとしてきましたが、実はこの「ハク」なるキャラのモデルについては、今でもまだはっきりこうだとは言えないのです。

一応、その名前がよく似ている古代史上の人物「饒速日」(ニギハヤヒ)ではないかとしていますが、記紀・秀真伝によると栲幡千千姫と饒速日の二人は母子の関係であり、その点では二人が物語の中心に据えられることに違和感はありません。

ただし、それでは「ハク」とネーミングされた理由が今一つ判然としないのです。「ハク」は「コハク」の一部であり、琥珀(コハク)とは主に岩手県の久慈、千葉県の銚子で産出される鉱石であることは「千と千尋の隠された神(3)」で既に説明しています。

この名前により、銚子が物語の舞台地であることが確からしくなったのですが、そうなると、ハクのモデルが饒速日である必然性が大変に薄くなてしまうのです。銚子と同定することで浮かび上がる名前とは、何度も書いているように男神「猿田彦」なのです。

その猿田彦、「白鬚」(しらひげ)の別名を持ち、実際に全国白鬚神社の総社と言われる近江白鬚神社の祭神は猿田彦なのです。「白」は音読みで「ハク」であり、その点でもハクなるキャラが猿田彦の方をより強く指しているのは明白なのです。

画像4:近江白鬚神社の湖上の鳥居

もう一つ気になるのがハクの正式名の最後に「ヌシ」が付けられていることで、ヌシの付く神名はいくつかありますが、これはおそらく出雲系の皇統名(神名ではない)である「大物主」(オオモノヌシ)を指すと考えられ、ここに、天孫系饒速日、[系不明]猿田彦、出雲系大物主と、複数の血統が混在している様が見受けられるのです。

そして、映画を観ていると自然にハクは少年であると思ってしまいますが、実はハクの性別については何も語られていないのです。何より顔や髪型のデザインは中性的であり、その衣装については白拍子(男装で巫女舞を踊る芸妓)を連想させるのです。

それが意図的に演出されていると考えられるのは、ハクの声を担当された入野自由(いりのみゆ)さんは、ジブリ作品では例が少ないオーディションで起用された声優さんであり、しかも、当時は声変わりの最中だったといいますから、男性性が声に現れる直前の中性的な声の持ち主を、敢えて狙って採用したとしか考えられないのです。

  参考:citar https://ciatr.jp/topics/45585

問題は、このような複合的なネーミングと性別をはっきりさせないキャラ設定をどうして行ったのかその理由なのです。実際には関係ないのかもしれませんが、それが先ほどの千木の形状に現れていると思えて仕方ないのです。

■猿女神社の暗号

前回記事「伊勢の油屋と猿田彦」の最後でも触れましたが、伊勢の猿田彦神社の片隅には猿田彦の妻となった天鈿女(アメノウズメ)を祀った「猿女」神社が本殿とは反対向き、斜めに向き合うように配置されています。

画像5:猿女神社

上の写真でも分かるように、千木の形状は内削ぎでありこれは本殿と全く同じです。こうなると、千木の形状による男女神の違いはないのかと思ってしまうのですが、実はこれには別の解釈もあり得るのです。

 猿田彦は女神である

おっと、「彦」と名にあるのだからやはり男だろうと素直に受け取るべきなのかもしれませんが、日本神道では、元々男性であり実在した古代王アマテルカミを女神に変えてしまった実績があるので、その反対も当然あり得るだろうと考えたらこうなるのです。

これをもう少し正確に表現するなら

 主が女神であり、従が男神である

ということ、すなわち猿田彦に相当する男性がいなかったという意味ではなく、女性の天鈿女が主人であり、夫たる猿田彦は言うなればその付属物であったということです。なお、「主従」と書きましたが、これは権威の上下ではなく、役割の違いを表していると解釈してください。神と繋がる女性(巫女)を中心に置くという意味です。

歴史研究アドバイザーのG氏によると、遺跡などの発掘調査から、縄文時代の日本社会が入り婿による相続を主とした女系社会であったことが最近少しずつ分かってきたとのことです。そして、武士集団(外国人)が渡来してきたことで、男系社会システムがそれにとって代わり、史書に残された血統は後代に男系相続に書き換えられてしまった可能性が極めて高いともおっしゃってました。

つまり、本来ならば女性シャーマンである天鈿女が中心となるべき話が、システム変更によりその夫を前面に出さざるを得なかった、その痕跡の現れているのが伊勢の猿田彦神社であり、現在の日本神道全体の姿であるということになります。

なぜに「千と千尋の神隠し」であれだけ女性キャラが強調されるのか、それも双子の女性が。この辺りに、日本神道でアマテルカミが女神にされてしまった本当の理由、卑弥呼なる女王中心の古代史国家が現代でも多く語られる理由、それらの秘密が隠れていそうです。


海原を越えて戻りし伊勢の地に眠る姫君今そ目覚めよ
管理人 日月土