SPY×FAMILYに見る月読と市杵島姫

今月25日の(真)ブログ記事「国家権力動員のSPY×FAMILY」では、現在放映中の人気アニメ「SPY×FAMILY」を題材に、そこに登場する角の生えた少女キャラクターが、古代皇后兼巫女であったいわゆる「少女神」をモデルとして描かれているのではないか、そして、彼女たちが取り上げられる最大の理由が、その存在を抹殺せんが為の呪詛なのではないかと述べています。

画像1:SPY×FAMILY 
(C)遠藤達哉/集英社・SPY×FAMILY製作委員会

呪詛と言うとオカルトぽくなってしまいますが、日本書紀や古事記などの史書で事実と異なる記述が明らかな場合も、それが事実を捻じ曲げ特定個人を貶めるという点では、やはりそれは呪詛や呪いの類と見なすことができます。

「呪詛」というどこか思想的な観念を持ち出すのは、単に史書から都合の悪い事実を伏せれば良いだけのことなのに、わざわざ特定個人を貶める記述を加えるという行為に、どこか現実的な損得を超えた強い悪意と憎悪を感じるからです。

私は、記紀及びその他の史書についてもそこに大きな改竄が加えられていると考えていますが、それが、登場人物に侮蔑的な名前が付けられていたり、その行為が悪し様あるいは嘲笑的に書かれている場合は、やはりそれも呪詛の一形態であると捉えています。

その意味では、現代メディアがやってることも全く同じで、映画やドラマ、そしてアニメ作品においても、昔ながらの「言葉による呪い」が込められており、その呪いが歴史上の特定人物に向けられているケースをこれまで幾つかご紹介してきました。

しかし、これを逆手に使えば、作品に込められている呪詛の形態から歴史的事実を辿れると考え、実際にその手法を用いてこれまでに「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」など大ヒットアニメに隠された古代日本の実相を分析してきました。

アニメ「SPY×FAMILY」もそれら呪詛的作品の例外ではなく、おそらくその背後には、隠された歴史的事実が存在するであろうと思われるのです。

■ヨルの名に隠された暗号

このアニメの主人公は「鬼の角型髪飾り」を付けた少女「アーニャ」ですが、ここではまず、その仮の母親であるヨルに注目します。

画像2:ヨル

このヨルさん、コードネーム茨姫(いばらひめ)の異名を持つプロの殺し屋で、運動能力が極めて高いという設定以外にこれと言った情報は付加されていないのですが、このヨルという名前をそのまま日本語の「夜」と解釈して良いことは、スパイである旦那役(ロイド)のコードネームが黄昏(たそがれ)であることから容易に察しが付きます。「黄昏に続いて夜が来る」ということです。

それでは次に「夜」に対応する歴史上の人物とは誰なのかを考察してみます。

これまでに少女神の分析を行ってきた対象が、日本書紀・古事記共に神代が中心であったことから、ここでも同時代の記述について調べてみることにします。

「夜」の字で記紀の神代原文を全文検索した場合、明らかに人名(あるいは神名)の一部として現れるケースは

 古事記:
  火之藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)
  波邇須毘古神(はにやすびこのかみ)
  波邇須毘賣神(はにやすひめのかみ)
 
 日本書紀:
  月見尊(つきよみのみこと)
 
となります。

これでは両史書の間で共通項が見当たらないことになりますが、実は古事記には次の様な「夜」の記述があるのです。

 次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。

次に月読命に詔りたまはく、「汝命(いましみこと)は、夜の食国(おすくに)を知らせ」と事依(ことよ)さしき。

ここでは表記の違いにご留意ください。「月夜見=月読=月讀(つきよみ)」であり、以下は「月読」で表記を統一します。

「夜の食す国」とはまさに夜の帳が降りた世界のことであり月読はまさに「夜」の統治者であると記されているのです。これは、月の美しく輝くのが夜の間であるという自然現象をそのまま詩的に表現しているとも言えますね。

以上から、記紀の神代記における「夜(ヨル)」の称号を持たされた人物(あるいは神)とは月読尊(つきよみのみこと)のことであろうと断定してよいのですが、問題なのはその性別なのです。

アニメにおけるヨルの性別は女性ですが、記紀では不詳、秀真伝では男性とされています。この性別問題については、前回記事「月読尊 - 隠された少女神」で提示した仮説を適用し、「ヨル(夜)」が月読尊を指す記号と解釈した上で、その性別はアニメが示すそのままに「女性」であった、即ち伊弉冉(イザナミ)の血を受け継ぐ少女神であったと解釈することにしたいと思います。

■アーニャは市杵島姫なのか

前回の仮説が適用できるとする根拠は、史書類から女系の血筋が隠されている(史実が改竄されている)のではないかと疑うところにあるので、その流れに従うと、当然ながら女性月読には娘がいたと考えざるを得ません。

秀真伝では男性月読に気吹戸主(いぶきどぬし)という息子が居たとの記述がありますが、この場合、こちらも女系を隠す意図の下で改竄されていると見なすべきで、実際には気吹戸主の嫁とされている市杵島姫(いちきしまひめ)が実の娘に当たるのではないかと見ることができます。

すると、ヨルとアーニャの母娘関係(偽装家族ではありますが)はそのまま次の様な対応関係になると考えられるのです

   母     娘
 —————————–
  ヨル → アーニャ
  月読 → 市杵島姫

すなわち、ヨルが月読を表す記号的存在ならば、アーニャも同じく市杵島姫を表していると見なすことができます。

画像3:アーニャは市杵島姫を象徴しているのか?

アニメの中で、アーニャは人の心を読む超能力を有する少女として描かれているのですが、これは神の託宣を受け取る特殊能力者であった古代巫女、すなわち少女神を表現しているとも取れるのですがどうでしょうか?

神話の中では、市杵島姫は宗像三女神の一人として誕生するのですが、全国の神社を回ってみると、三女神の中でも市杵島姫はとりわけ手厚く祀られている(あるいは封印されている)ように感じるのです。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)と聞けば広島県の宮島にあるものが夙に有名です。ここでは宗像三女神を祀っているのですが、摂社・末社などの小社として全国に建てられている厳島神社の祭神は、基本的に市杵島姫を祀るお社として認識されている場合が多いようです(具体的に調べた訳ではありません)。

画像4:宮島の厳島神社

よく考えてみたら「いちきしま」と「いつくしま」は発声がそっくりで、ここからも厳島神社が基本的に市杵島姫を主な祭神としていた証であることが見て取れます。

また全国に多く見られる仏教の弁財天(弁天様)も、本地垂迹説的には市杵島姫と同一視されることが多く、やはり宗像三女神の中では市杵島姫が特別扱いされていると考えられるのです。

それが隠された少女神の血筋に由来することなのかどうか、現在はこれ以上深読みできないのですが、これについては、アニメ放送の今後の展開を見て再度考察を加えたいと思います。

■呪われた少女神

アーニャの鬼の角のような髪飾りと大好物のピーナッツ。これが節分の豆撒きにおける鬼と炒り豆の関係に相当し、鬼とされた存在に向けた呪いであることを上記(真)ブログ記事では述べています。

すなわち、これはアーニャへの呪いでもあり、同時に「市杵島姫への呪い」とも取れる訳ですが、一方ヨルの方は、血塗られた殺し屋の顔を持つ女として描かれています。

画像5:ヨル、依頼を受ければ殺し屋となる

茨姫と呼ばれる血塗られた女、それがどのような悪意を込めた呪いなのかは不明ですが、あまり聞こえの良いものでないのは事実です。少なくともそのモデルであろう月読を敬っていないのは確かだと言えます。

血塗られた女に炒り豆を投げつけられる鬼女、少女神に対する呪いとしてはもはや散々なのですが、実はこのアニメと放映時期を同じくして、この二人の特徴を併せ持つ次の特異なキャラクターが別の作品に登場しているのをご存知でしょうか?

画像6:チェンソーマンから血の魔人パワー
(C)藤本タツキ/集英社・MAPPA

単なる偶然だとは思いますがどこか引っ掛かるのです。そう言えば両作品共に出版元は同じ集英社ですね。また、遠藤達哉氏は藤本タツキ氏のアシスタントを務めていたこともあるそうです。


寒風に追われて辿るこの道はい笑ます君の宮へ誘う
管理人 日月土

瀬織津姫 - 名前の消された少女神

前回、前々回とアニメ映画「君の名は」を題材に、日本の古代王権がどのように継承されていたのか、「少女神による女系継承」という仮説に基づいて考察してみました。

これまでに構造分析を試みたアニメ作品とそこに登場した少女キャラクター、それと秀真伝に記されている上代皇統の系図を組み合わせたのが以下の図となります。

画像1:上代皇統と少女アニメキャラ

どうしてこうなるかは過去の記事を読んで頂きたいのですが、世の中で話題となった大ヒット人気アニメが、実は日本古代史(あるいは神話)を何度もその題材として取り上げていることは注目すべき点であります。

そう言えば、現在公開中の「すずめの戸締まり」をはじめ、鳴り物入りのアニメ作品の主人公が基本的に「少女」であり、男の主役はどちからというと影が薄いのは共通しているパターンだと言えます。

■もののけ姫に描かれた女系継承

なんだかアニメのストーリーを無理矢理に女系継承の話に持って行ってないか?というご批判はもっともなのですが、これが権力の継承を象徴していると考えられるシーンが「もののけ姫」に登場したのを覚えておられるでしょうか?

画像2:カヤからアシタカに手渡された黒曜石の小刀

カヤはアシタカと別れる時に、形見として黒曜石の小刀を渡すのですが、そのカヤからの大事なプレゼントを、アシタカはサンにあっさりと手渡してしまいます。

このやり取りを見て、多くの女性視聴者が「アシタカは女心の分からない最低の男!」と評したかどうか分かりませんが、少なくともアシタカのこの行動に何の意味があるのか理解できなかった方は多かったと思います。

実は、この小刀を「権力継承の象徴」と見ればあっさりとこの謎は解決するのです。つまり、画像1において、栲幡千千姫から木花咲耶姫へと皇后の権威が次の世代へ移動した象徴と見れば良いのです。

これに加え、小刀が黒曜石であることにも大きな意味があるのです。みシまる湟耳著「ヤタガラスの娘」にも書かれていますが、伊豆七島の神津島は古代少女神と非常に関連が深い島として紹介されています。そして、その神津島こそが古代から黒曜石の重要な産地であり、神津島産の黒曜石は、対岸の静岡地方だけでなく、内陸は長野県の遺跡からも多く出土しているのです。

画像3:御前崎の「星の糞遺跡」
星の糞とは地面の上で星の如く煌めく黒曜石の破片ことで、ここから出土する
黒曜石の約90%が神津島産とのこと。古くは縄文時代後期からなる遺跡。

少女から少女へと受け継がれる黒曜石の小刀、これはまさしく古代女系継承を表現しているとは言えないでしょうか?宮崎監督はこのシーンについて「男とはそんなもん」と嘯いているようですが、この表現に隠された真意は極めて重要なのです。

■大祓詞と瀬織津姫

画像1にある瀬織津姫は、何故か記紀の日本神話の中に登場しない不思議な神様です。しかし、神話ではない人の歴史として古代日本を記述する秀真伝(ほつまつたえ)には、はっきりと男性王アマテルカミの正妻ムカツヒメ(瀬織津姫)として記述されているのです。

実は、記紀と秀真伝のこの大きな食い違いこそが、女神である天照大神(あまてらすおおかみ)を最高神と戴く日本神道の大きな矛盾点なのです。別の表現をするなら、国家神道の根幹部分がそもそもあやふやであり、それ故に私は、日本神話をファンタジー化された歴史の捏造と捉えるのです。ただし、神話化されたということは元の歴史的事実があるということでもあり、その意味では記紀が全く無価値だと言うつもりもなく、むしろ最も解読が求められている暗号書であると捉えているのです。

さて、男性王アマテルカミを女神天照大神に書き換えてしまったら、その妻である瀬織津姫の存在は不都合極まりありません。ですから、単純にテクニカルな意味で記紀の記述からそっくり外されてしまったのは容易に考え得ることです。

しかし、そこまでしておきながら、何故か大祓詞(おおはらえのことば)にはその名が出て来るのですから、その点は少し困惑してしまいます。ここでその大祓詞とやらを眺めてみましょう。

画像4:大祓詞(1/4)
画像5:大祓詞(2/4)
画像6:大祓詞(3/4)
画像7:大祓詞(4/4)

「ヤタガラスの娘」の中で、みシまる氏は①~③を呪いの言葉、④~⑦はいわゆる祓戸四神なのですが、これを瀬織津姫の神的パワーを削ぐために4柱の神名に分けて記述したものだとしています。

①の「金木(かなぎ)」は製鉄を表す言葉で、これをタタラ姫の家系、すなわち少女神の家系と推定し、その本(先祖)と末(子孫)を打ち切るとは、先祖末代を祟る呪いであるとしています。

また、これと同様に②の「菅麻(すがそ)」を蘇我氏、③の「彼方(をちかた)」を古代祭祀族の物部氏と推定し、やはり同家系を呪っていると断じているのです。

このみシまる氏の説には私も概ね同意なのですが、私は①の金木は鉄生産の国である古代朝鮮国の伽耶(かや)を指し、そこを出身とする女性シャーマンの家系、すなわち少女神の家系を指すと考えます。

また、②については「すがそ」を「須賀祖」と読めば、これは素戔嗚尊(すさのおのみこと)の家系、即ち大物主の家系を表し、即ち国津神である出雲一族を呪った言葉であると解釈するのが自然であると考えます。

なお、③については私も不案内なので多くの言及を控えますが、大祓詞を考案した中臣氏以前の祭祀族を呪うのは十分あり得ることだと考えられるのです。要するに

   大祓詞とは特定一族を呪う為の祝詞(のりと)

であると考えられるのです。

さて、ここに登場する瀬織津姫なのですが、みシまる氏の神的パワー分散説については恐らく違うであろうと考えます。というのも、秀真伝には一応、瀬織津姫以外のそれぞれの名前についてもその系図がきちんと示されているからです。

 カナサキ → ハヤアキツヒメ(速開都比売)
 ツキヨミ → イフキヌシ(氣吹戸主)
 アカツチ → ハヤフスヒメ(速佐須良比売)

おそらく、この時代で名前の残っている女性は基本的に各家に養女にもらわれた少女神の家系出身者と考えられるのですが、少女神については大祓詞の①で既に呪いが掛けられているので、実はここに登場する姫神はとりわけ強く呪われているとも考えられるのです。

つまり、瀬織津姫は記紀から名前を消されただけでなく「金輪際絶対出て来るんじゃねぇ!」とより強烈に呪いを掛けられた存在ではないかと考えられるのです。

逆に言うと、瀬織津姫は神道の世界観ではそれほどまでに恐れられている存在であり、同時にそれは、古代日本において女性シャーマンとして非常に卓越した能力があったことを指しているとも考えられるのです。

「君の名は」で、年老いた一葉として瀬織津姫の型を出してきたのも、恐る恐るながらもその力にあやかりたい、そのような意図があったのではないか、私はそう思うのです。


* * *

さて、少女神の観点で祓戸四神を眺めた時、一人だけ首を捻る存在がそこにあるのを無視する訳にはいきません。それは「氣吹戸主(いぶきどぬし)」です。名前の語感からもそうですが、秀真伝でも氣吹戸主は男性なのです。

祓戸四神と括りながらその構成は女3人に対し男1人、この違和感はいったい何なのか?そもそもその親であるツキヨミ(月読尊)は、記紀でも殆どたいした記述がありません。謎の登場人物である月読尊とその子である氣吹戸主。今回の少女神といったいどのように絡んでくるのか、瀬織津姫の謎と共にこちらも追っていく必要がありそうです。

画像8:突然メディアに現れたN国の少女
参考:金閣下、ご返信ありがとうございます
この少女のことを私は市杵嶋姫(いちきしまひめ)と呼んでいます


高天原小宮に坐ます姫神の母なる思ひ今ぞ伝えん
管理人 日月土

時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」(2)

※この記事は、前回「時間を結ぶ少女神 - もう一つの『君の名は』」の続編となります。既に「君の名は」を鑑賞されていることを前提にしておりますので、まだの方はネタバレ注意でお願いします。

さて、このアニメ映画もジブリ作品と同様に日本古代史(あるいは日本神話)をそのモチーフに組み込んでいると考えられるのですが、その前提で、次の様な設問を読者の皆様に課題として出していました。

 Q:三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?

この設問へのヒントとして、メソポタミア神話の女神ティアマトとの関連から、どうやら映画に登場するティアマト彗星が伊邪那美命(=伊弉冉尊:いざなみのみこと)を象徴しているらしいという解説を掲載しましたが、今回はこの話を更に掘り下げてみます。

■出会いのシーンは神話そのもの

説明を始める前に、まずは日本書紀に記述されている次の文面をご覧ください。

故(かれ)、二(ふたはしら)の神、改めて復柱(またみはしら)を巡りたまふ。陽神は左よりし、陰神は右よりして、既に遇ひたまひぬる時に、陽神、先づ唱へて日(のたま)はく「妍哉、可愛少女(あなにゑや、えをとめ)を」とのたまふ。陰神、後に和(こた)へて日はく、「妍哉、可愛少男(あなにゑや、えをとこ)を」とのたまふ。然(しこう)して後に、宮を同くして共に住ひて児(みこ)を生む。大日本豊秋津洲(おおやまとあきづしま)と号(なづ)く。

岩波文庫「日本書紀 一」神代上 一書から

こちらの現代語訳は次の様になります。

二柱の神は改めてまた柱のまわりを回った。男神は左から、女神は右から回って出会ったときに、男神がまず唱えていわれた。「おや、何とすばらしい少女だろう」と。女神が後から答えて「おや、何とすばらしい男の方ね」と。その後で同居をされて子を生まれた。大日本豊秋津洲と名づけた。

講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳から

伊邪那岐命(=伊弉諾尊:いざなぎのみみこと)と伊邪那美命の男女神の初めの出会いは、それぞれの回る向き、および発声の順序に問題があり、改めて上記引用の様に回り直したところ、正しく国生みが始まったとあります。

ここで、前回も紹介した三葉と瀧がカワタレ時に山上で邂逅したシーンを改めて見てみます。

画像1:山上で邂逅した瀧と三葉

もうお気付きかと思いますが、このシーンは上述の日本書紀の記述とシチュエーションが酷似しているのです。それを図解したのが下記になります。

画像2:御神体の外周を初めは左回りする三葉(心は瀧)
画像3:互いが見えずすれ違う二人(心が入れ替わった状態)
画像4:すれ違いの後に向きを変え互いに相手の姿を見る二人(心は元の状態)

御神体を中心に瀧と三葉は初めはそれぞれ右回り・左回りの方向に走り出します。しかし、二人はすれ違ってしまう。ところが、ちょうどその時がカワタレ時だというのもありますが、互いの気配を感じた二人は、引き返すため進行方向をそれぞれ左回り・右回りへと変えた時に出会うことができるのです。

これを整理すると次の様になります。

 日本神話:
  御柱の周りを回る
  伊邪那岐命(右回り)&伊邪那美命(左回り) → 国生み失敗
  伊邪那岐命(左回り)&伊邪那美命(右回り) → 国生み成功

 君の名は:
  御神体の周りを回る
  瀧(右回り)&三葉(左回り) → 出会えない
  瀧(左回り)&三葉(右回り) → 出会える

このように、私から見れば瀧と三葉のこのシーンは明らかに日本神話のそれをモチーフにしていると読むことができ、よってここから

 瀧のモデルは「伊邪那岐命」
 三葉のモデルは「伊邪那美命」

と結論付けることができるのですが、実はこの結論ではまだ説明できない設定が残っているのです。それは、三葉の血縁である、一葉、二葉、そして四葉との関係なのです。

■少女神の系譜

このアニメの設定において、三葉の家である宮水家は、代々村の宮水神社を守る神主やの巫女(みこ)を輩出した家とされています。ところが、入婿である三葉の父は、母の二葉の死去後に家を離れ、家に残されたのは、祖母の一葉、三葉、妹の四葉の女性だけの家として描かれています。

この設定だけをみれば、水宮家は明らかに

 女系家族である

ことが窺われるのです。

これは一体どういうことでしょうか?ここで、神話ではない人の歴史として古代を綴る、秀真伝(ほつまつたえ)に従って、伊邪那美命からその後に3代続くアマカミ(上代の天皇)の系図を見てみましょう。

画像5:秀真伝によるイザナギ・イザナミとそれに続く3代
※漢字表記は日本書紀によるもの(瀬織津姫を除く)
※秀真伝ではアマテルカミ(天照)は男性王である

日本の史書は基本的に男系継承を軸に記述されているので、どうしても上図で示すようにになってしまうのですが、ここで注目すべきなのは王権の中心であるアマカミではなく、その后(きさき)の方なのです。

既にティアマト彗星は伊邪那美命の象徴であろうとしているので、同じように映画に登場した宮水家の人員をこの図に当てはめると次の様になります。

画像6:古代系図と「君の名は」の対応

図の中で、特に三葉と四葉の姉妹関係などを見る限り、登場人物がピタリと上代アマカミの歴代皇后の系譜に当てはまることが分かります。ここから類推する限り、どうやら三葉は木花開耶姫(このはなさくやひめ)に該当し、ここから、前回出した設問の答も

 瀧のモデルは「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)
 三葉のモデルは「木花開耶姫」

ということになります。

しかしここでまたもや問題になるのは、どうして、伊邪那岐命・伊邪那美命と瓊瓊杵尊・木花開耶姫の関係を重複させているかなのです。

この映画のラストシーンでは、瀧と三葉が相手に対し同時に「君の名は?」と呼び掛けますが、「君」とは抽象的かつ普遍的な意味で王と后の両方を指していると考えられ、特定の世代に限定されないことが分かります。

ここでぜひ、過去記事「少女神の系譜と日本の王」を読み返して頂きたいのですが、同記事の中では、私は一つの仮説を取り上げています。それは

 古代日本の王権は母系(女系)継承だったのではないか?

というものです。

すなわち、伊邪那美命と木花開耶姫のイメージをここで重ねてきた一番の理由とは

 伊邪那美命と同じ血を継ぐ女性が代々皇后に選ばれてきた

その事実を開示せんがために、あるいは、日本人の潜在意識が既に把握しているこの事実に対して、何か心理的な作用を与えるために、敢えてこのような設定を盛り込んできたのではないかと推測されるのです。

記紀や秀真伝を読む限り、これらの皇后はそれぞれ別の家系を出自に持つ女性ばかりですが(*)、私はこれらも古代史改竄の一つで、実は

 同一家系から、一旦他の有力者の養女に迎え入れていた

のが事実ではないかと考えるのです。その母系継承についての考察をみシまる湟耳氏の著書「少女神 ヤタガラスの娘」では述べているのですが、私も同様にそのルーツが海の向こうの古代朝鮮の伽耶、そして更に遡ること西アジアのメソポタミア周辺に及ぶと見ているのです。

*例えば、栲幡千千姫は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の娘、木花開耶姫は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘とされており、これだけ見れば両者は全く別の家系の出自となる。

また、なぜ后に特定の血筋を求めるのかなのですが、これはみシまる氏も指摘しているように、神と通信する女性シャーマンとしての優れた能力が代々彼女たちに受け継がれており、当時の社会においては彼女たちを后にすることが王権を得る上での絶対条件であったと考えられるのです。

これは、三葉が巫女姿で舞を踊ったり、口噛み酒を造ったりするシーンに象徴されていると見ることができます。現代的な解釈では、そんなのは迷信であったり習慣化した作法でしかありませんが、古代社会において、呪術とは実践科学であり、神の声を聞く彼女たちの能力は共同体運営に欠かせないものであった。彼女たちを后に置くことはまさに自国の存亡に関わる重要なことだったのではないでしょうか。

■三葉とサン

このブログの読者様なら既にご存知の通り、ジブリ映画「もののけ姫」に登場したサンの歴史モデルが「木花開耶姫」であり、アシタカのモデルが「瓊瓊杵尊」及び「天若彦」(あめわかひこ)のダブルキャストであることは既に結論が出ています。

関連動画:モロともののけ姫の考察

つまり、「君の名は」における三葉の役柄は「もののけ姫」のサンの焼き直しということになります。

画像7:三葉とサン(どちらも3)
サンのキャラデザインもどこか古代巫女風である

私がここで問題にしたいのは、なぜ日本のアニメ映画はこの時代の人物を執拗にモデルに取り上げるのか、果たしてその点なのですが、それについてはもう少し分析を進めて行く必要がありそうです。

おそらく、前回とりあげた日本のメディア作品の大テーマ「時間の循環と過去改変」に関係あるのだろうと今は予想しています。


浜辺にてすくう真砂の数よりも幸多くあれ姫宮の君
管理人 日月土

時間を結ぶ少女神 - もう一つの「君の名は」

今月28日、11月に公開される新海誠監督の新作「すずめの戸締り」にタイアップしてか、5年前の大ヒットアニメ「君の名は」が放映されました。

 関連記事:新海アニメの完成数 

この作品、絵が美しく物語も詩情豊かにまとまっているので、あまりくさすような事を書きたくないのですが、それでも日本のヒットアニメに共通する基本パターンはしっかりと踏襲しており、それについてはやはり指摘しておかなければならないでしょう。

以下、このアニメ作品の構造解析について説明して行きますが、既に同作品をご覧になっていることを前提に進めて行きます。まだ観たことがないという方は、ぜひ鑑賞してから読み始めることをお勧めします。

画像1:「君の名は」公式ページから

■時間の循環(ループ)

この物語は、3年前の三葉(みづは:主役の女子高生)と現在に生きる瀧(たき:主役の男子校生)との時間を超えた奇妙な交流から始まります。そのやり取りの手段も、時より二人の心と身体が入れ替わった時に、互いに残した日記を読み合うという、極めてSFファンタジー的な設定となっています。

画像2:瀧と三葉、出会いの名シーン

二人が直接顔を見合わすシーンは、それこそ山上での短い「彼は誰時(かわたれどき)」と、ラストのあの感動的な出会いのシーンだけなのですが、その二人の時間的・空間的距離の遠さこそが、この少年少女の仄かな慕情を募らす大きな要素となっています。この辺の演出はさすがだなと私も感心することしかりでした。

この、可愛らしくも美しい恋慕の情に観る人は心惹かれるのだと思いますが、ところがどっこい、ここにもお約束のテーマがしっかりと隠されているのです。そのテーマが何であるかは、三葉の祖母である一葉(ひとは)のセリフを通して次の様に語られています。

左から祖母の一葉、母の二葉(ふたは)、妹の四葉(よつは)

三葉、四葉、結びって知っとるか?土地の氏神様を古い言葉で結びって呼ぶんやさ。この言葉には深い意味がある。糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び、全部神様の力や。わしらの作る組紐もせやから、神様の技、時間の流れそのものを表しとる。寄り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って途切れ、また繋がり、それが結び、それが時間。

この「時には戻って途切れ、また繋がり、それが結びそれが時間。」という部分はたいへん重要で、これは時間の流れというものは永遠普遍ではなく、切れたり繋がり直ったりすると言ってることです。

物語の中でも、3年先の未来の人である瀧の介入により、ティアマト彗星の落下により失われるはずだった三葉の命が救われる、すなわち過去改変が行われるのですが、ここには、

 ・未来から過去への時間の循環
 ・過去の事実への介入

という、日本アニメ・映画作品で良く見られるテーマがしっかりと盛り込まれているのです。同様なテーマを表現する作品の例を挙げれば

 ・ドラえもん
 ・火の鳥
 ・時をかける少女
 ・涼宮ハルヒの憂鬱
 ・エウレカセブン AO
 ・シュタインズ・ゲート
 ・魔法少女まどかマギカ
 ・Re:ゼロから始める異世界生活

海外作品まで目を向ければ

 ・バック・トゥ・ザ・フューチャー
 ・ターミネーター

など、他にも色々あります。また「時間の循環」を「ループ」と置き換えれば次の様な作品もその範疇に入って来ます。

 ・テラ戦士Ψボーイ
 ・マトリックス・レザレクション
 ・鬼滅の刃 無限列車編

世の中の全てのメディア作品に目を通すほど私も暇ではありませんが、これまで観てきたものだけ取り上げてもこの数ですから、「時間循環と過去改変」なるテーマがメディア表現に如何に多く埋め込まれているのかお分かりになると思います。

画像4:メディア作品はループばかり
1985年の日航123便事件、2011年の東日本大震災、2020年の
コ〇ナパンデミックなど、大災厄の発生年を基準にまとめてみた

要するに「君の名は」も、メディア業界における大テーマに沿った作品であり、そこにはまた、人を感動させる以外の別の目的も仕込まれているのだと考えるべきなのです。

■日本神話との関連性

アニメ作品に見られる日本神話との関連性については、これまで、スタジオジブリ作品の「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」についてその神話的・古代史的分析を試みてきました。今回の「君の名は」についても、主人公の三葉の家が代々水宮(みずみや)神社を守る巫女の家系であるという設定が、何やらその関連性を臭わせています。

作品の中では三葉が巫女として鈴を鳴らしながら神楽を舞ったり、口噛み酒を造るシーンが登場します。余談ですが、そもそも「醸す」とは「噛む」から来ている言葉で、「かむ」はそのまま「神(かむ)」に通じ、本来は神聖な行為であることを意味してます。それについて一葉おばあちゃんが語るシーンもあり、このようなディテールの細やかさはこの作品の大きな特徴でもあります。

さて、読者の皆様におかれましては、分析を進める前に、まず次の点について考えてみてください。

ジブリ映画「もののけ姫」の構造分析では、その主人公であるアシタカとサンがそれぞれ日本古代史(あるいは日本神話)における「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」および「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」をモデルにキャラクタ設定されていると結論を得ました。詳しくは過去記事をご覧になってください。

そこで同じように「君の名は」が日本古代史をモデルにしていると仮定した時、

 ・三葉のモデルは誰なのか?
 ・瀧のモデルは誰なのか?

これを考えてみて欲しいのです。

三葉(みづは)という名前の響きから、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)、古事記では弥都波能売神(みづはのめのかみ)と表記される女性神が連想されますが、この神様、両書の記述に共通しているのが、伊邪那美命(いざなみのみこと)の尿(ゆまり:おしっこ)から和久産巣日神(わくむすびのかみ、男神)と共に誕生したと記述されいる点です。

「むすび」とは、上述の一葉おばあちゃんのセリフにも出てきており、この語呂による関連性の推測が全く的外れということも無さそうです。

他に似たような名前も見つからないし、だったら、三葉のモデルが罔象女神で、瀧のモデルが和久産巣日であるとしても良さそうなのですが、それだと、一葉、二葉、四葉など近親者との関係性がうまく説明できませんし、わざわざ二人の主人公の超時空的なめぐり逢いを強調する意味も見出せません。どうやらこれについてはもうひと捻りする必要がありそうです。

■ティアマト神とは何か

この映画の冒頭は天空を流れる美しく輝いて流れるティアマト彗星のシーンで始まります。もしもこの映画に神話的モデルがあるならば、当然ですが最初のこのシーンに何か大きな意味が込められていると考えられます。

画像5:冒頭で表現されるティアマト彗星

ティアマトとはメソポタミア神話に登場する女神で、多くの神々を誕生させた原初の神、海の女神とされるも、その存在については抽象的に描かれていることが多く、容姿などについては蛇神、ドラゴン、など異形の神とも考えられていたようです。

バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』のあらすじについて、Wikiの解説は次のように記述しています。

ティアマトはアプスーを夫として多くの神々を誕生させたが、新しい世代の神々の騒々しさに耐えられず、ついに神々の殺害を企てる。

 (中略)

ティアマトは一人でマルドゥクに挑み彼を飲み込もうと襲い掛かったが、飲み込もうと口を開けた瞬間にマルドゥクが送り込んだ暴風によって口を閉じられなくなり、その隙を突いたマルドゥクはティアマトの心臓を弓で射抜いて倒した。

ティアマトを破ったマルドゥクは「天命の書版」をキングーから奪い、キングーの血を神々の労働を肩代わりさせるための「人間創造」に当て、ティアマトの死体は「天地創造」の材料として使うべくその亡骸を解体。二つに引き裂かれてそれぞれが天と地に、乳房は山に(そのそばに泉が作られ)、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じたとされる。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。

引用元:Wikipedia

この世に多くの神々を生み出したティアマトは、メソポタミア神話の英雄であるマルドゥクとの闘いに敗れはしたものの、その死骸から世界の原型が生まれたとされています。

多くの神々の生みの親となり、死んでなおその身体から天地が創造された海の女神!?大雑把ですが、これと似たような話、何だかどこかで聞いたことがないでしょうか?

天地創造とはまさに「国生み」であり、死とは「黄泉の国」へと去ること、そしてその肉体や排泄物から多くの神々を生み出したとは、前述の罔象女神で述べたように、記紀の神代に記された伊邪那美命の描写に極めて類似しているのです。

ここで、物語に登場する幾つかのキーワードは次の様に繋がってくるとは考えられないでしょうか?

 ティアマト彗星 → ティアマト神 → 伊邪那美命
 水宮 → 水の神 → ティアマト神 → 伊邪那美命
 三葉(みづは) → 罔象女神(みづはのめ)の親 → 伊邪那美命

そしてまた、物語冒頭にティアマト彗星が登場するということは、

 全ては伊邪那美命から始まる

の意であり、古代史における伊邪那美命からの繋がりを辿ることで、三葉のモデルがいったい誰なのか、それを特定するための道筋が見えてくるのです。


* * *

このテーマは2回に分けて記述したいと思います。読者様へは

 三葉と瀧の歴史上のモデルは誰か?

という質問を投げかけておりますが、私が予想している答が必ずしも正解とは限りませんので、どうぞ皆様も一緒に考えて欲しいのです。

その際は、どうして「身体と心の入れ替わり」という表現が使われたのか、また、どうして二人が互いを「君(きみ)」と呼ぶのか、その辺も併せて考えてみてください。

これらを齟齬なく網羅できる解答こそが、おそらく正解なのだと思います。そして最も肝心なのが、どうして日本古代史を執拗にそのモチーフに使おうとするのか、それも時間の循環と重ねて、その辺の制作者側の真意なのです。


時越えて打ち寄す波の海原に何をか結ばん三島姫神
管理人 日月土

加耶展に見る古代朝鮮と日本

アニメ映画「もののけ姫」の設定に、日本古代史がテーマとして組み込まれているのではないかと指摘してから1年以上が経過しました。

 関連記事:愛鷹山とアシタカ

その分析の中でもやもやと引っ掛かっていたのが、カヤという少女の存在です。呪いを掛けられたアシタカは、その呪いを解く為に村を離れることになるのですが、懇意にしていた村の少女「カヤ」と決別することになります。

画像1:アシタカとカヤ
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

このカヤとアシタカのモデルとなった日本神話上の登場人物は

 アシタカ: 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
 カヤ:   栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)

とまでは分析できたのですが、瓊瓊杵尊が富士山の静岡県側にある愛鷹山(アシタカヤマ)からその存在が比較的簡単に特定できたのに対し、どうして栲幡千千姫のことを「カヤ」と呼ぶのかはこれまで不明のままでした。

というのも、「カヤ」という呼び名からは古代朝鮮に存在したとされる伽耶連合王国との関連性が想起されますし、画像1を見ればお分かりのように、カヤの被っている帽子の形状は、朝鮮式の笠帽子「갓(カッ)」を表現しているようにしか見えません。どうしてそのような思わせ振りな役名にしたのか、今一つその理由が釈然としなかった点が挙げられます。

神話ではなく、実在した王族達のリアルな記録として日本古代史を記述する「秀真伝(ホツマツタエ)」によると、栲幡千千姫は第7代高皇産霊(タカミムスビ)に就いた高木(タカギ)の娘で、その高木は現在の東北(宮城県多賀城市付近)に宮を構えていたとありますので、アシタカの元居た村が東国にあるという設定とは上手く符号します。

しかし、高木の娘である栲幡千千姫にどうして東北とは全く明後日の方角にある古代朝鮮王国の名が付けられたのか、どう考えてもその必然性が思い付かず謎のままだったのです。

そして、この栲幡千千姫はその名が示す通り「尋の神隠し」のヒロイン「千尋」として再度モデル化されるのですが、ここからも、栲幡千千姫が日本古代史において重要な役割を担っていることが窺われるのです。つまりは、伽耶とは古代日本を語る上で無視できない重要トピックであるとも読み取れるのです。

 関連記事:千と千尋の隠された神

■加耶展が絶賛開催中

そもそも、私自身が伽耶なる古代朝鮮王国連合について大した知識もなかったので、これ以上の探求はストップしていたのですが、そんな折、たいへんタイムリーな企画展示が、この10月4日から千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で開催されるのを聞いて思わず小躍りしました。

画像2:加耶展のポスター
(展示では「加耶」の漢字表記に統一されています)

 関連サイト:国立歴史民俗博物館公式ページ

そこで、博物館へ早速出かけてきたのですが、残念ながら展示物について論評できる程の力量が私にはありませんので、ここではその時の様子を簡単にお知らせするのみに留めたいと思います。

まずは、展示を理解するために必要なバックグラウンドの知識からご案内しましょう。

画像3:伽耶諸国の位置関係
(展示図録から引用)
画像4:東アジア略年表
(「時空旅人」11月号から引用)

以下、展示室内で撮影した写真を幾つかご紹介します(写真撮影可です)。暗い室内の撮影の為、ピンボケ写真ばかりとなってしまいましたがご容赦ください。

画像5:伽耶と言えば「鉄」
発掘された鉄器生産の道具類
画像6:美しい伽耶の土器類
左上から時計回りに金官・阿羅・小・大の各伽耶
画像7:伽耶で発掘された北九州産の銅矛
画像8:王冠及び装飾品
画像9:日本国内の発掘物にも伽耶交易の影響が見られる
画像10:「新撰姓氏録」(しんせんしょうじろく)に書かれた朝鮮由来の氏
第10代崇神天皇の和風諡号が記されており、その時期に半島から日本に渡ってきた氏族の記録が書かれているようだ

他にも展示品はありますが、そちらについてはぜひ博物館に足を運び、実際にご覧になって頂ければと思います。

展示自体は比較的小規模で、説明文の全てに目を通しても1時間少々で見て回れるでしょう。しかしながら、日本国内ではなかなかお目にかかれない貴重な展示ばかリで、たいへん見応えがあると言えます。

日本古代史において何かと登場する伽耶ですが、文献や写真だけでは当時の様子をイメージするのは極めて困難です。しかし、このように実物を見ながらだと頭に入って来る印象や情報量が全く異なってきます。

古代日本の成立史を考察する上で朝鮮半島史は欠かせないものであり、それ抜きでいくら「神国日本!」などと叫んだところで虚しいだけです。もしかしたら「もののけ姫」はその点についても示唆しているのかもしれません。

反日だの嫌韓だのと狭い了見でいがみ合っていては、私たち日本人だけでなくお隣韓国の人々にとっても正しく民族のルーツを知るという貴重な機会を失うだけです。近現代の偏狭な歴史観に囚われた現在の日韓関係を払拭する上でも、日本と韓国の博物館が協力して実現させた今回の展示はたいへん有意義なものであると評価できます。

以上、読者の皆様には同展示の見学を強くお勧めします。

むかし日本は三韓と同種なりと云事有し。彼書を桓武の御代に焼すてられしなり

(北畠親房 「神皇正統記」より)


管理人 日月土

古代鈴鹿とスズカ姫(2)

前回の「古代鈴鹿とスズカ姫」では、三重県鈴鹿市が非常に古代遺跡の多い土地であることを簡単にご紹介しました。

しかし、全国に数ある遺跡地帯に比べるとその認知度はあまり高いと言えません。私も最近になって調査を始め、初めてこの事実を認識するに至りました。

一般的に鈴鹿の歴史スポットと言えば、観光パンフレットにもあるように、市の北西部、鈴鹿山脈の麓にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)を思い出す方がほとんどでしょう。ここは、10年位前にスピリチュアリストの故船井幸雄氏によってパワースポットとして紹介されたことで多くの人に広まったと聞いています。

画像1:観光パンフレットに紹介された鈴鹿の歴史スポット

前回はこの有名ポイントについて殆ど触れていなかったので、まずは椿大神社についてご紹介したいと思います。

■猿田彦大神の社に祀られたスズカ姫

この4月に訪れた時はあいにく雨にたたられ、あまり良い写真が撮れませんでした。以下掲載する写真は、昨年10月に現地を訪れた時のものであるとお断りしておきます。

画像2:椿大神社の参道入口

椿大神社本殿に向かう参道の鳥居の前に立つと、大きく育った木が参道を挟み、そこそこ厳かな雰囲気を醸し出しています。

画像3:椿大神社の御祭神

撮影日は日差しが強く、画像3の御由緒書きが良く読み取れません。ここに祭神の名を書き出すと次の様になります。

 主祭神 猿田彦大神 (さるたひこおおかみ)
 相殿神 皇孫 瓊々杵尊 (ににぎのみこと)
     御母 栲幡千々姫命 (たくはたちちひめのみこと)
 前 座 行満大明神 (ぎょうまんだいみょうじん)

はい、既にここで、本ブログで行ってきたアニメ映画「千と千尋の神隠し」の構造分析で、主人公「千尋」の歴史上のモデルとして推定される栲幡千々姫こと「スズカ姫」の名前が見られるのです。もちろん、その姫神について調べるためにここを訪ねた訳なのですが。

そして、参道の左右に摂社や古墳、祭場を見ながら直進すると、入道ヶ岳(にゅうどうがたけ)あるいは高山を後背に、そこには立派な本殿が現れます。

画像4:椿大神社本殿

4月の調査では、雨にも拘わらず多くの方々が参拝に来られており、ここが人の集まる人気パワースポットなのだと実感されます。もちろん、本当にパワースポットなのかどうかは私には分かりませんが。

さて、猿田彦の名前が登場する以上、伊勢の猿田彦神社同様、その相方となった女神、猿女(さるめ)こと天鈿女(あめのうずめ)もどこかに祀られているはずなのですが、わざわざ探すまでもなく、本殿の東側に隣接するスペースに「椿岸(つばきぎし)神社」が置かれており、そこに天鈿女が祀られていました。

画像5:椿岸神社

さて、ここで椿岸神社の祭神について少々疑問が湧いてきます。

猿田彦・天鈿女は一対の夫婦神として考えられていますし、瓊々杵尊も天孫降臨の際に猿田彦に先導されたと神話にありますから、ここに祀られていてもおかしくありません。

しかし、いくら身内とはいえ、その母である栲幡千々姫(別名スズカ姫)まで合祀されるのはさすがにその理由が何であるのか気になります。その理由については、椿大神社の公式ページに次の様に書かれています。

人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相殿として社殿を造営し奉斎された

https://tsubaki.or.jp/yuisyo/

つまり、倭姫(やまとひめ)のご神託により合祀さたということのようです。

これに加え、もう一柱の行満大明神については。椿大神社の公式ページには次の様に書かれています。

大神の神孫「行満大明神」は修験神道の元祖として、本宮本殿内前座に祀られ、役行者を導かれた事蹟など、 古来「行の神」として、神人帰一の修行・学業・事業・目的達成守導のあらたかな神として古くより尊信されております。

https://tsubaki.or.jp/yuisyo/

要するに、猿田彦の子孫で修験神道を開いた神様(人?)ということのようなのですが、境内には「高山土公神陵」という(おそらく)古墳があり、「土公」(とのこう)は猿田彦の子孫とも言われてますから、猿田彦の子孫が行満大明神としてここに祀られても、特に違和感はありません。

しかし、秀真伝(ほつまつたえ)の研究者、池田満氏の解釈によると、スズカ姫とこの地との関係性は、これとはずい分違うようなのです。

(1) 物欲に拘泥しない生き方をススカ(スズカ)という。

人が生活していると、何によらず欲しい欲しいと物欲にかられることが多い。しかし本来、人とは、そのタマシヰのタマはアメの中心から来たって、また元へ戻るのであるから、必要以上の物欲に取りからめられてしまうのは愚かなことといえる。物欲から自由になるこの考え方をススカ(スズカ)という。物欲に取りつかれ過ぎると、本来の人の幸せを 見誤ってしまい、楽しむことができなくなる。また他人の羨みを買ってしまうことになる。

物欲にとりつかれた状態をスズクラという。ススカ(スズカ)の考え方を解いたフミをススカノフミという。

(2) 九代アマカミのオシホミミのキサキ(后)となった、タクハタチチヒメのイミナをスズカヒメという。

アマテルカミから名付けてもらったこのスズカの名は、(1)の意味を受けていた。チチヒメの夫となった九代アマカミのオシホミミは比較的若くしてこの世を去ったため、チチヒメは義父のアマテルカミの老後をお世話することになる。伊勢神宮の内宮に相殿神(あいとののかみ)として萬幡豊秋津姫命(タクハタチチヒメのこと)が祭られているのは、その故である。そしてチチヒメの崩御に当たっては、現、三重県鈴鹿市坂下の三子山に亡骸が納められ、スズカノカミと尊称されて、後に片山神社としてまつられてゆく。

池田満著 ホツマ辞典

これを読むと、スズカ姫が同地と関係を持つのは、鈴鹿市内(現在の鈴鹿峠の近く)に亡骸が納められたという事だけで、「スズカ」の名の由来についても、秀真伝にある猿田彦の別名「ウツクシキスズ」との関係には特に触れられておらず、椿大神社との関係性も含め、猿田彦とは直接関係あるようには説明されていません。やはり、倭姫のご神託一つで合祀が決まったのでしょうか?

故事伝承の類は文献によって中身が大きく異なるものですが、ここでは、少なくとも鈴鹿という土地とスズカ姫の間にはなんらかの所縁があると、ざっくりと捉えておく方が良いかもしれません。

■丹生と椿大神社

前回の記事では鈴鹿周辺の地形図を掲載しましたが、そこから、椿大神社の周辺を次に切り出します。

画像6:椿大神社周辺の地形図

この図で注目するべきなのは、椿大神社の北側の尾根を越えたすぐその先に、旧水沢(すいさわ)鉱山があることです。

この水沢鉱山から採取されていた鉱物とは

 丹生(にう)

すなわち水銀(Hg)なのです。

丹生と言えば、白粉(おしろい)の原料、あるいは鳥居などに塗られる朱(しゅ)など顔料としての利用、あるいは大仏などのメッキ用素材として、古くから利用価値の高い鉱物として知られています。

水俣病やイタイイタイ病など、現在では水銀に毒性があるのは良く知られた話ですが、昔は不老長寿の秘薬として、朱が丹薬・仙薬として飲まれていたそうですから何とも恐ろしい話です。

実際に、水沢鉱山から流れる内部(うつべ)川は丹生毒に汚染され、水銀由来の奇病に河川周辺の住民が苦しんだと言う記録もあるようなのです。

私が指摘したいのは、椿大神社が現代のスピリチュアリストが言うような神聖なパワースポットとして初めから創建された土地なのかと言う疑いなのです。

今も昔も人には生活があり、その中でも利用価値の高い丹生鉱山の発見はその土地に住む人々の生活を大きく変え、その土地を巡る権益やそれを巡る争いなどを生じさせたと考えられるのです。

つまり、椿大神社がある場所とは、元々は水沢鉱山利権を巡る勝利者一族の権威を象徴する土地だったのではないかと考えるのです。この土地が丹生によって成り立っていたと考えられる一つの証左として、椿大神社の後背の山が

 入道ヶ岳=にうどうがたけ

と書けることがあります。

このように、丹生の生産こそが古代鈴鹿の性格を決定付ける重大因子ではなかったのかと想定する方が、より現実的に鈴鹿の古代の様相を理解できるのではないでしょうか。

さて、丹生が登場したところで、次に考えるべきは丹生とスズカ姫がどのように関係してくるのかという点です。

もしかしたら全く関係などないかもしれませんが、ここで再び「千と千尋の神隠し」を観返すと、次のシーンがスズカ姫と鈴鹿を繋ぐヒントになると考えました。

画像7:千尋に偽金(ニセキン)を渡すカオナシ

これがどういうことなのか、詳しくはメルマガで解説したいと思いますが。ヒントとしてWikipediaから次の一節を引用します。

賢者の石

錬金術における最大の目標は賢者の石を創り出す(あるいは見つけ出す)ことだった。賢者の石は、卑金属を金などの貴金属に変え、人間を不老不死にすることができる究極の物質と考えられた。また後述の通り、神にも等しい智慧を得るための過程の一つが賢者の石の生成とされた。

 (中略)

この作業で材料は黒、白、赤と色を変える。賢者の石は、赤くかなり重い、輝く粉末の姿であらわれるとされた。この賢者の石を、水銀や熱して溶かした鉛や錫に入れると大量の貴金属に変じたという。赤い石は卑金属を金に、白い石は卑金属を銀に変えるとされた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93


赤石青石白い石、緑の石は奴奈川の石
管理人 日月土

少女神の系譜と日本の王

今回の記事を書き進める前に、最近、知人に勧められて読んだ歴史読本を紹介したいと思います。

歴史、特に古代史に関しては多くの研究者が様々な説を面白おかしく持ち出すので(私も他人のことは言えませんが)、この手の読み物は基本的に避けていました。しかし、この書籍だけは、知人の勧めだけでなく、歴史研究のアドバイザーであるG氏からのお墨付きもあったので、どんなことが書かれているかちらっと読んでみたところ、私がこれまでブログに書いてきたこととあまりに符号する点が多く、ちょっと驚いてしまいました。

本のタイトルは「少女神 ヤタガラスの娘」、作者は「みシまる 湟耳」さんで今年の1月に幻冬舎から出版されたものです。

タイトルに「ヤタガラス」と付いていることから、どうしても陰謀論系の匂いを想像してしまうのですが、実際に読んでみると、文献類の精読と緻密な考察によって組み立てられた、非常に重厚な内容であることが分かります。

それほどページ数がある本ではないのですが、さらっと読めるような代物ではないので、私も読了まで少し時間がかかってしまいました。

画像1:少女神 ヤタガラスの娘

■少女神とジブリの暗号

さて、これまでの(神)ブログ記事とこの本に書かれた主張のどの辺が重なってくるのか、実際に同書を読んで頂かないと詳しく説明するのは難しいのですが、それでも、同書のエッセンスは冒頭の導入部分に述べられているので、ここでは同部分からの引用を掲載したいと思います。

 三人。少なくともヒミコと目される姫の名前が挙げられている。

 中でもふたりの少女に、出雲と大和の王が婿入りをしており、その少女たちは共通の名を持っている。

 出雲、大和といえば、日本人なら誰もが知る現代にも逓なる古代王朝だが、この出雲「最期」の王も、大和「最初」の王も、実は同じ氏族の少女へ婿入りしている事実は意外なほど知られていない。いや意図的に隠され、目を逸らされている、と言うべきか。

「出雲最期の王」イナバの白兎で知られる大国主の子とされるコトシロヌシは、神津島や紀伊の神社では少女の方の氏姓を名乗り「☆☆☆明神」として祀られている。

 なぜ、出雲の有名な国主が、わざわざ少女の氏族の名籍の方を名乗りたかったのか?

 「大和最初の王」神武死後には、皇位継承のため、その少女を奪い合った記録が残されるほどだ。このことは当時神武の子というだけでは権威としては弱く、少女の氏族の籍を伴わなければ「王」として認知される説得力がなかった事実を示している。

 カリスマは出雲の王にでも大和の帝にでもなく、「神の御子」と記される少女神の方にこそあった。

 この出雲にも、大和にも、双方にモテモテだった少女神とはいったい何者か?

 コトシロヌシが「主」から「神」へ神格を上げられた方法が『日本書紀』に記されている。すなわちワニに化身し、「神の御子」と記される「八咫烏」の娘=活玉依姫へ近づき婿に成ったと。大和初帝神武も「神の娘」がいると知り、自ら少女神の元へ赴き婿と成ったと記されている。

 この少女神は、出雲王や大和帝より遥か以前から「神の御子」として崇められていた。

みシまる湟耳著「少女神 ヤタガラスの娘」(2022)幻冬舎より

これを読んでいただければお分かりになるように、古代皇統の権威は特定家系である「☆☆☆」家の少女の元へ入婿することによって引き継がれてきたのだと述べているのです。

神様の子孫などというファンタジーは別として、一般的に天皇家は男系相続と信じられていますから、この主張は多くの方々にとっては驚くどころか、噴飯物であると感じられるかもしれません。

しかし、私が驚いたのは、この主張こそが前々回の記事「男神猿田彦の誕生」で伝えたかったことである点なのです。つまり、現在私たちが目にする日本神話とは、権威の継承について

 後世になって女系から男系に書き換えられたもの

ではなかったのかということなのです。

古代社会の在り方を同じように考えている方がいらっしゃるのを知り、私も非常に嬉しいのですが、私が漠然と「古代王家の継承とは本当は女系なのではないか?」と漠然と考えていたところに、「☆☆☆」家と具体的な氏(うじ)まで特定されたみシまる氏の分析力には脱帽するしかありません。

※「☆☆☆」が何を指すのかはぜひ同書を読んでお確かめください。

これまで、本ブログではシブリ作品の「もののけ姫」、そして「千と千尋の神隠し」が日本神話を元ネタに作られ、それも裏の裏まで知り尽くしている古代史の専門家によって考証されているだろうと予想していました。

ここで、今回のみシまる氏の指摘を踏まえ、改めて同ジブリ作品に登場するキャラクターと史書に登場する歴史上の人物の対応関係を下図にまとめてみました。

画像2:ジブリの女性キャラと史書に登場する女性たちの対応

作品を良く見れば、この二作品の物語を主導するのは「もののけ姫」のサンであり、「千と千尋の神隠し」の千尋という二人の少女です。そして周辺の主要キャラも女性ばかり、つまり女性こそが両作品の主役であることが分かります。

※ハクとカオナシはチヂヒメの双子の片割れを指すと考えられます。詳しくは過去の記事をお読みください。

この対応関係を見れば分かるように、本来主役として立てるべきなのは、これらの女神の相方となった皇祖であるニニギノミコト(アシタカ)であったり、作品に登場すらしないサルタヒコ・オシホミミ・神武天皇など、神話の主たる男神たちなのです。

天皇家の始祖とされる男神がここまでないがしろにされる描写、これはすなわち、古代社会においては、みシまる氏が主張するように特定の女系家系こそが真の権威を有する一族であったことを意味するのかもしれません。

■母系を追う

さて、ここで母系による血統こそが重要だとすれば、アニメに登場した媛神たちの、父ではなくその母が誰であったのかが問題になります。ここで秀真伝の系図を租を辿ってみると次の様になります。

 サルメノキミ     → 不明(父:不明)
 タクハタチヂヒメ   → 不明(父:タカギ)
 コノハナサクヤヒメ  → シタテルヒメ→イサナミ→不明(父:トヨケ)
 ヒメタタライスズヒメ → タマクシヒメ→不明(父:ミシマ、ミソクヒ)

※コノハナサクヤヒメの実父はオオヤマスミではなく、本ブログの結論であるアチスキタカヒコネであると仮定しています。前者の場合やはり母不明となります。

このように秀真伝も父系中心に記述がなされており、母系を追ってもすぐにその系統が見えなくなってしまいます。

これを逆に捉えれば、限られた母系一族が后(きさき)を輩出していたとも考えられ、そうなると古代王家はその一族の娘に婿入りすることによって王権を得ていたとも考えられるのです。この結論は「ヤタガラスの娘」の主張とも辻褄が合ってきます。

特に注目すべきはイサナミ(一般にはイザナミ)で、国生み神話の主人公にされたこの古代皇后と他の女性たちが同じ母系の血を継いでるとすれば、まさに母系によってこの国の初期の王権が成立していたと言えなくもありません。

そうなると、日本神話の次の箇所が非常に重要な意味を持ってきます。日本書紀から次を抜粋します。

そこでオノコロシマを国中の柱として、男神は左より回り、女神は右から回った。国の柱をめぐって二人の顔が行きあった。そのとき、女神が先に唱えていわれるのに、「ああうれしい、立派な若者に出会えた」と。男神は喜ばないでいわれるのに、「自分は男子である。順序は男から先にいうべきである。どうして女がさきにいうべきであろうか。不祥なことになった。だから改めて回り直そう」と。そこで二柱の神はもう一度出会い直された。

講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳

男神(イサナキ)と女神(イサナミ)との国生みシーンですが、これは女神が最初に声かけしたことを強く否定しており、主導権は女性にはないと言ってるようにも取れます。

またここで、イサナキが黄泉の国から逃げ帰る次の有名な千引の磐のシーンを見てみましょう。

これが大きな川となった。泉津日狭女(よもつひさめ)がこの川を渡るうとする間に、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)はもう泉津平坂(よもつひらさか)につかれたともいう。そこで干引きの磐で、壱の坂路を塞ぎ、伊奘冉尊(いざなみのみこと)と向い合って、縁切りの呪言をはっきりといわれた。  そのとき伊奘冉尊がいわれるのに、「愛するわが夫よ。あなたがそのようにおっしゃるならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ締め殺そう」と。伊奘諾尊が答えていわれる。「愛するわが妻が、そのようにいうなら、私は一日に千五百人ずつ生ませよう」と。そしていわれるのに、「これよりはいってはならぬ」としてその杖を投げられた。

講談社学術文庫「日本書紀(上)」宇治谷孟現代語訳より

このシーンでははっきりと男女の縁切りが宣言されています。これにより、女神であるイサナミは永遠に黄泉の国の住人となってしまうのですが、これはまさしく

 后の力を封印する

行為そのものであり、これこそが、後世に行われた母系継承から父系継承へと王権システムを変更した史実を示す史書の暗号と捉えることができます。それと同時に、それまでの母系王権に対する強い否定感の表現、あるいは「呪い」とも取れるのです。

以上から、古代日本が母系王権の国であったことがより確からしくなってくるのですが、そうなると問題になるなのが、

 なぜ父系王権に切り替える必要があったのか?

その理由と、現代においてもジブリ映画など多くのメディア作品を通して

 母系王権時代の古代女性を暗示的に取り上げる理由は何か?

という2つの点なのです。

実はこれ、古くから行われてきた「歴史改竄計画」の一環であり、加えて、母系王権時代をことさらちらつかせるのは、古代巫女でもあっただろう彼女たちの何か呪術的な能力と関連することが予想されるのです。

同書には、そのタイトルともなった八咫烏(ヤタガラス)と古代海洋民族、そしてこれら少女神との関連性が考察されているのですが、そちらで示唆されてた内容も無視できるものではなく、これについても本ブログにて追って取り上げたいと考えています。

画像3:香良須(カラス)神社 愛知県豊田市にて撮影


国始め烏追ひたり市木津へ求む媛神現れましを
管理人 日月土

男神猿田彦の誕生

過去行われた大掛かりな歴史改竄計画によって、現存する史書の殆どが書き換えられている。しかしながら、正確な史実に辿り着けるよう、あるいは完全にそれが忘れ去られないよう、史書編纂者の工夫によって史実が巧みに暗号化され、文書記録となって残されている。

それが、現在目にすることのできる日本書紀や古事記、その他の史書的文献の実態であるとするのがこのブログの基本姿勢です。

これらに加え、私などよりもはるかに解読が進んだ集団によって脚本がなされているだろう、ジブリアニメなどのメディア作品も、今では重要な史書解読のツールとなっています。

アニメ作品の分かりやすさについつい甘え、いつの間にかアニメ解説ブログになりかけているのが悩みの種ですが、今回も前回に続き、アニメ「千と千尋の神隠し」の表現をベースに、伊勢の猿田彦神社に関する考察を続けたいと思います。

■内削ぎの猿田彦神社

画像1:伊勢の猿田彦神社

上の写真は前回の「伊勢の油屋と猿田彦」でも掲載したものですが、少し日本神話や神社の造形に詳しい方なら「おやっ?」と思われたかもしれません。

それはこの神社の千木が内削ぎになっているからです。一般的に千木の切り口が垂直(外削ぎ)の場合は男神、水平(内削ぎ)の場合は女神が主祭神だと言われていますが、記紀では猿田彦は男神として描かれており、その猿田彦を祭神とする神社が内削ぎなのはちょっと違和感を覚えます。

画像2:内削ぎの猿田彦神社

一方、千木の形状で祭神の男女を判別するのは俗説だとも言われており、千木の様式も公式には既定されていないようです。ですから、これを以って特に不思議がる必要もないのですが、手水舎での柄杓の持ち方や拝殿前での礼の作法など、何かと参拝形式が語られる神社で、建築様式において祭神の男女の区別が曖昧なのは面白いと言うか、不思議な気もします。

これは、神社の世界ではとっくにSDGsだったということでしょうか?それならば、日本神道で天照大神(あまてらすおおみかみ)が女神であると強調する必然性は全くないと思うのですが、いかがでしょうか?

そもそも、明治期に国家神道が始まるまでは、神社とは土地のものであり統一された様式などなかったと言います。現在の様にある程度様式を揃えるに当たっては、西欧キリスト教の教会システムが参考にされたとも言いますから、神社の造りを見て日本の伝統を云々するのはそもそもお門違いなのかもしれません。

それでも祭神の性別が気になったのは、今回分析対象としてるアニメ映画「千と千尋の神隠し」の主人公が女の子(千尋)であり、それにも拘わらず、物語のモデルとなった古代史を追いかけると、千葉県銚子のケースだけでなくここ伊勢でも「男神」猿田彦が出て来てしまうからです。

■謎の登場人物ハク

映画「千と~」では千尋の他に、もう一人準主人公とも言えるキャラクター「ハク」が登場します。

画像3:呪術を使うハク(ニギハヤミコハクヌシ)
©︎2001 Studio Ghibli・NDDTM

これまでに、主人公の「千尋」が古代史上の人物である栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)をモデルとし、重要神様キャラ「顔なし」が栲幡千千姫の双子の姉妹ではないかとしてきましたが、実はこの「ハク」なるキャラのモデルについては、今でもまだはっきりこうだとは言えないのです。

一応、その名前がよく似ている古代史上の人物「饒速日」(ニギハヤヒ)ではないかとしていますが、記紀・秀真伝によると栲幡千千姫と饒速日の二人は母子の関係であり、その点では二人が物語の中心に据えられることに違和感はありません。

ただし、それでは「ハク」とネーミングされた理由が今一つ判然としないのです。「ハク」は「コハク」の一部であり、琥珀(コハク)とは主に岩手県の久慈、千葉県の銚子で産出される鉱石であることは「千と千尋の隠された神(3)」で既に説明しています。

この名前により、銚子が物語の舞台地であることが確からしくなったのですが、そうなると、ハクのモデルが饒速日である必然性が大変に薄くなてしまうのです。銚子と同定することで浮かび上がる名前とは、何度も書いているように男神「猿田彦」なのです。

その猿田彦、「白鬚」(しらひげ)の別名を持ち、実際に全国白鬚神社の総社と言われる近江白鬚神社の祭神は猿田彦なのです。「白」は音読みで「ハク」であり、その点でもハクなるキャラが猿田彦の方をより強く指しているのは明白なのです。

画像4:近江白鬚神社の湖上の鳥居

もう一つ気になるのがハクの正式名の最後に「ヌシ」が付けられていることで、ヌシの付く神名はいくつかありますが、これはおそらく出雲系の皇統名(神名ではない)である「大物主」(オオモノヌシ)を指すと考えられ、ここに、天孫系饒速日、[系不明]猿田彦、出雲系大物主と、複数の血統が混在している様が見受けられるのです。

そして、映画を観ていると自然にハクは少年であると思ってしまいますが、実はハクの性別については何も語られていないのです。何より顔や髪型のデザインは中性的であり、その衣装については白拍子(男装で巫女舞を踊る芸妓)を連想させるのです。

それが意図的に演出されていると考えられるのは、ハクの声を担当された入野自由(いりのみゆ)さんは、ジブリ作品では例が少ないオーディションで起用された声優さんであり、しかも、当時は声変わりの最中だったといいますから、男性性が声に現れる直前の中性的な声の持ち主を、敢えて狙って採用したとしか考えられないのです。

  参考:citar https://ciatr.jp/topics/45585

問題は、このような複合的なネーミングと性別をはっきりさせないキャラ設定をどうして行ったのかその理由なのです。実際には関係ないのかもしれませんが、それが先ほどの千木の形状に現れていると思えて仕方ないのです。

■猿女神社の暗号

前回記事「伊勢の油屋と猿田彦」の最後でも触れましたが、伊勢の猿田彦神社の片隅には猿田彦の妻となった天鈿女(アメノウズメ)を祀った「猿女」神社が本殿とは反対向き、斜めに向き合うように配置されています。

画像5:猿女神社

上の写真でも分かるように、千木の形状は内削ぎでありこれは本殿と全く同じです。こうなると、千木の形状による男女神の違いはないのかと思ってしまうのですが、実はこれには別の解釈もあり得るのです。

 猿田彦は女神である

おっと、「彦」と名にあるのだからやはり男だろうと素直に受け取るべきなのかもしれませんが、日本神道では、元々男性であり実在した古代王アマテルカミを女神に変えてしまった実績があるので、その反対も当然あり得るだろうと考えたらこうなるのです。

これをもう少し正確に表現するなら

 主が女神であり、従が男神である

ということ、すなわち猿田彦に相当する男性がいなかったという意味ではなく、女性の天鈿女が主人であり、夫たる猿田彦は言うなればその付属物であったということです。なお、「主従」と書きましたが、これは権威の上下ではなく、役割の違いを表していると解釈してください。神と繋がる女性(巫女)を中心に置くという意味です。

歴史研究アドバイザーのG氏によると、遺跡などの発掘調査から、縄文時代の日本社会が入り婿による相続を主とした女系社会であったことが最近少しずつ分かってきたとのことです。そして、武士集団(外国人)が渡来してきたことで、男系社会システムがそれにとって代わり、史書に残された血統は後代に男系相続に書き換えられてしまった可能性が極めて高いともおっしゃってました。

つまり、本来ならば女性シャーマンである天鈿女が中心となるべき話が、システム変更によりその夫を前面に出さざるを得なかった、その痕跡の現れているのが伊勢の猿田彦神社であり、現在の日本神道全体の姿であるということになります。

なぜに「千と千尋の神隠し」であれだけ女性キャラが強調されるのか、それも双子の女性が。この辺りに、日本神道でアマテルカミが女神にされてしまった本当の理由、卑弥呼なる女王中心の古代史国家が現代でも多く語られる理由、それらの秘密が隠れていそうです。


海原を越えて戻りし伊勢の地に眠る姫君今そ目覚めよ
管理人 日月土

伊勢の油屋と猿田彦

今回も前回に続けて、ジブリアニメ「千と千尋の神隠し」を題材に古代史考察を進めて行きます。

さて、これまでの関連記事の中では、千葉県銚子市にある猿田神社がアニメに登場する「油屋」の実際のモデルあろうとしていました。

 関連記事:
  ・千と千尋の隠された神   [2021/07/30] 
  ・千と千尋の隠された神(2) [2021/08/14] 
  ・千と千尋の隠された神(3) [2021/08/30] 

画像1:アニメに登場した油屋
©︎2001 Studio Ghibli・NDDTM
画像2:千葉県銚子市の猿田神社

油屋のモデルと言っても、銚子の場合は物語の設定上から読み取れるモデルであり、そのデザイン上の造形については、愛媛県の道後温泉本館など、複数の建築物がそのモデルに採用されたのであろうと、シリーズ最初の記事では述べています。

■調査対象は伊勢の猿田彦神社

先週、「千と千尋~」に関する史跡調査のため、日本人なら誰もが知るであろう三重県は伊勢市へと向かいました。

伊勢と言えば誰もが「伊勢神宮」を思い浮かべるかもしれませんが、今回向かうのはそこではありません。

以前の記事で「猿田神社」すなわち日本神話における「猿田彦」(さるたひこ)を祀る神社を扱った以上、同神を祀ることで有名な、三重県鈴鹿市の「椿大神社」(つばきおおかみやしろ)、そして、同県伊勢市の「猿田彦神社」は見ておかなければならないと思い、昨年の10月には椿大神社、そして今回は伊勢の猿田彦神社へと向かったのです。

順序としては椿大神社を先に報告するべきなのですが、アニメとの関連性を考える上で伊勢の猿田彦神社には象徴的な要素が多く見られ、まずはこちらについて取り上げることにしました。

■歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」と「油屋騒動

さて、猿田彦神社について触れる前に、伊勢にまつわる話題をここで一つ取り上げたいと思います。

歌舞伎の演目の中に「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)があるのをご存知でしょうか?

私も最近まで知らなかったのですが、よく上演される人気の演目らしくYoutubeの動画でも観ることができます。

画像3:伊勢音頭恋寝刃2
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=F_QlR6oJuak

ここで、動画から切り取った上の画像を見て頂くと、そこには「古市油屋店先の場」とタイトルが書かれいます。そう、そこに「油屋」の文字が見て取れるのです。

この演目、ネタ元になった次のような史実があり、それは「油屋騒動」(あぶらやそうどう)と呼ばれています。油屋騒動はWikiでは次のように書かれています。

寛政8年5月4日(1796年6月9日)の深夜、伊勢古市の遊廓油屋において9人の者が刀で斬られ、そのうち3人が死亡する事件が起きた。その顛末は当時の史料では下記のように記載されている。

引用:Wikiペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E5%B1%8B%E9%A8%92%E5%8B%95

Wikiにはこの事件の顛末が詳しく書かれていますが、江戸寛政期に起きた殺人事件のことで、歌舞伎はそれを面白おかしくアレンジしたと言ったところでしょうか。タイトルにある「油屋」もそうですが、この他に私が特に注目したのは文末に書かれた次の部分です。

油屋は明治に入ると改装され旅館として営業し、山田駅前にも支店を出した。しかし第二次大戦の戦火により消失した。さらにその後、油屋のあった場所は近鉄鳥羽線の線路を引くために切り崩され、当時を偲ぶものはほとんど残っていない(伊勢街道の線路際に「油屋跡」の石碑が立っている)。

引用:Wikiペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E5%B1%8B%E9%A8%92%E5%8B%95

 ”線路際に「油屋跡」の石碑が立っている”

「油屋と線路」この状況はまさにアニメの設定に近く、ここに偶然を超えた何かしらの意図が働いていると感じたのは言うまでもありません

画像4:現地に残る油屋跡
近鉄線の切通工事により跡地は崩されている

■おしら様と盃ノ間

このアニメには油屋の客として様々なタイプの神様キャラが登場しますが、その中でも、エレベータに乗りとまどう千尋を匿い、油屋の中を無言で案内する「おしら様」は特に印象深かたのではないでしょうか?

画像5:おしら様
©︎2001 Studio Ghibli・NDDTM

実はこのおしら様が、現実に存在した伊勢の油屋とこのアニメとの設定を繋ぐ重要なキャラでもあったのです。

以下の写真は、伊勢の地誌をまとめたサイト「ブラお伊勢」さんから拝借したものです。

画像6:油屋の盃ノ間(モノクロ)

この写真をAIによりカラー化したものが次になります。

画像7:油屋の盃ノ間(カラー)

カラー化とはいっても、AIの推測により着色しているためオリジナルの色彩が再現できている訳ではありません。しかし、提灯の模様に赤系の色が使われていたのはほぼ間違いないと思われます。

注目すべきは、外廊下に囲まれた中央の畳の間で、昔の旅館風ではありますが、廊下の縁に欄干が付けられているのは、ここが遊郭ならではのきらびやかな装飾であったと考えられます。

この作りだけ見ても、アニメに登場した油屋の内部装飾に良く似ているのがお分かりでしょう。

画像8:油屋の内部(アニメ)
©︎2001 Studio Ghibli・NDDTM

しかし、この写真で最も注目するべきなのは、赤い盃を被ったおしら様のデザインとこの「盃ノ間」の間に見られる類似性なのです。その関係を示したのが以下の図です。

画像9:おしら様と盃ノ間
©︎2001 Studio Ghibli・NDDTM

キーワードは「盃」(さかずき)であり、これにより、架空の存在である「おしら様」と実存した伊勢の「油屋」がイメージとして重なってくるのです。

線路と建屋の位置関係、欄干付の外廊下、盃のデザイン・・・ここまで状況が揃うと、もはやこれが偶然とは言えないでしょう。このアニメは明らかに伊勢の油屋をモデルに使っていると考えられるのです。

銚子モデル説の場合は、油屋は猿田神社を指しますが、今回の伊勢モデル説の場合はその名も同じ遊郭の「油屋」を指すことになります。

そうなると油屋のモデルとなった建物の意味合いが180度違うように思われてしまいますが、おしら様の「赤白」のデザインはそのまま「赤白」の巫女装束を表し、また、おしら様が顎の下に抱える2本の長い垂れ下がりは女性の乳房、すなわち女性を表していると捉えれば、両説の間で全く矛盾はないのです。

よく「千と千尋の神隠し」は暗に性風俗を表現したものではないかと指摘されることがありますが、伊勢のケースを見る限りその指摘もあながち間違っていないと言うことができます。

しかし、ここで重要なのはどうして「聖」(巫女)と「俗」(遊女)を重ねてきたのか、その狙いであり意図なのです。

■橋の向こうには猿田彦

以上、猿田彦神社の報告から随分と離れてしまいましたが、前節までの話の流れの中で、「猿田彦」なる神の存在が、このアニメの中核として欠かせないことが、銚子と伊勢の対比によって見えてきます。

画像10:銚子と伊勢の立地比較

この2つの地域を比較してよく分かるのは、

 橋向こうに居る猿田彦

という構図が見事に同じ点なのです。ですから、銚子と伊勢のどちらがよりアニメの設定モデルに近いのかという議論にはあまり意味がなく、密かに日本古代史をなぞるこのアニメの真の狙いが、何か「猿田彦に関わる奥義」を意図したものであることは、もはや疑い様もありません。

画像11:伊勢の猿田彦神社

主人公の千尋は両親に連れられて、本来人が近寄れない神の領域に入ります。そこで、ハクとカオナシに出会うのですが、前回記事「千と千尋の二人姫」でも書いたように、カオナシとは千尋の双子姉妹の片割れ、古代史的に表現するなら巫女に出された栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)の双子姉妹の片割れと予想されます。

千千姫がその姉妹と出会えたということは、油屋が象徴するものは「巫女修業の場(神域)」ということになり、今回の考察とも辻褄は合ってくるのですが、どうしてそれが猿田(彦)神社なのか、また、どうして巫女と遊女を重ねてきたのかその真意はまだよく分かりません。

ここに新たな仮説が生まれてくるのですが、それは画像11を良く見ること、加えて「遊女とは売り買いされる女」というその言葉の原義を押さえることで分かってきます。

ここが分かると、どうして古代王アマテルカミ(男性)が女神天照に変えられてしまったのか、この日本神道最大の呪詛についてもその真意が見えてくるのです。

※この話題は次回へと続きます


* * *

伊勢の猿田彦神社の中には摂社の佐瑠女(さるめ)神社があります。ここでは、日本神話の中で閉ざされた岩戸の前で踊り、そして猿田彦の妻となり猿女(さるめ)と呼ばれるようになった天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀っています。

画像12:佐瑠女神社

猿女さんは踊りの神話が縁となり、一般的に芸能の神様と呼ばれていますが、こちらにのぼり旗を献上している方々の中にあの著名人の名前を見つけました。

画像13:ご存知新海監督

芸能に縁のある神社ですから特に不思議でもありませんが、そう言えば「君の名は」のヒロイン「みつは」のアルバイトは「巫女」であり、物語の骨格となったテーマが「時を超えた出会い」と、ほとんど「千と千尋の神隠し」と同じであることにここで気付いたのです。

画像14:巫女姿のみつは

新海監督作品も含め、日本のアニメが隠された日本古代史をベースにし、日本人の大衆心理を巧みに操らんと企図されている、その疑いをますます深めた瞬間でもあったのです。



騙した岩戸開き。出てきた神はどこの誰?
管理人 日月土

千と千尋の二人姫

アニメネタから離れて約半年、ここで再びジブリアニメ「千と千尋の神隠し」と古代史の関係を考察したいと思います。

画像1:「千と千尋の神隠し」ポスター

その前に、これまでの3つの記事でこのアニメをどのように分析してきたのか以下に簡単にまとめておきます。

千と千尋の隠された神   [2021/07/30]   
 アニメのモデルになった地は、千葉県東総地区、現在の銚子市周辺である。それは、「椿」の暗号によって示されている。

千と千尋の隠された神(2) [2021/08/14] 
 油屋のモデルとなったのは、千葉県銚子市の猿田神社である。それは、同社前に敷設された鉄道の配置からも窺える。

千と千尋の隠された神(3) [2021/08/30] 
 銚子市がモデル地と特定できる理由の一つとして、同地が琥珀の産地であることが挙げられる。この「コハク」こそが登場人物「ニギハヤミコハクヌシ」の命名の由来であろう。

なお、基本的な大前提として、タイトル中の「千と千尋」すなわち「千」の字をわざわざ二つ重ねていることなどから、主人公「荻野千尋」の古代史モデルが日本神話(日本書紀)に登場する

 栲幡千千媛萬媛命(たくはたちぢひめよろづひめのみこと)

であると仮定しています。神話では、千千媛は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の母であり、その瓊瓊杵尊はまた、同じくジブリアニメ「もののけ姫」に登場したアシタカのモデルでもあります。

この仮説は、劇中の設定と本件に関する文献および現地調査の結果を照らし合わせたところ、今や確信へと変わりつつあります。

■3月から始まる舞台

昨年7月、(真)ブログ「舞台に現れる千千姫」で、「千と千尋の神隠し」が舞台化されるとお知らせしました。そして、その舞台がいよいよ来月2日から上演されます。

 舞台公式サイト:Spirited Away 

さて、同ブログ記事の中では、次の画像を示してある不思議な共通点があることを指摘しています。

画像2:映画ポスターと二人の舞台女優

そう、アニメ画の主人公および、二人の女優さんが皆同じ

 振り向き様のポーズ

を決めているのです。そしてもう一つ、舞台上演では比較的当たり前だとも言えますが、ダブルキャスト(二人一役)を採用していることです。

但し、このダブルキャストはロングラン公演など長期の上演が決まっている場合の役者のシフトを考慮した措置で、この舞台の3月いっぱいの帝劇公演、および、5~7月までの地方公演が果たしてロングランと言えるのかは微妙なところです。

そして、その二人のキャスティングに売れっ子の二人の女優さんを同格に配置するというのも、何かの意図を感じずにはいられません。もちろん、ダブルで売れ筋女優を起用したと言う商業的戦略はあるとは思いますが。

私はここに制作側の大きな意図を見出すのですが、それについては次節以降に説明します。

■仮面の持つ意味

ここで、アニメ「もののけ姫」の主人公「サン」について振り返ってみます。

画像3:二人のサン

画像2は仮面を被ったサンと素顔を出しているサンです。普通に考えれば、仮面を着けているかいないかの違いだけで、どちらも同じサンであることには変わりありません。

しかし、ここで呪術的考察を加えると解釈は変わってきます。仮面を着けるとはその人が別人に変身することを意味し、呪術的には仮面の装着により、新たな人格と力を獲得したと考えます。すなわち、画像2の二人は別人であるとみなされるのです。

過去記事「サンがもののけ姫である理由」でも解説したように、アシタカは物語中に石火矢に射抜かれて命を落とします。その後、シシ神によって息を吹き返すのですが、同一人物が2度目の命を得たという表現から、アシタカが瓊瓊杵尊だけでなく、同時に天稚彦(アメワカヒコ=第10代アマカミホノアカリ)をもモデルにしていると同記事では指摘しています。

画像4:日本神話では天稚彦は返し矢に当たり絶命する

つまり、アシタカに使われていた人名隠しのロジックがそのままサンに対しても使われている可能性があるということになります。サンの場合は石火矢ではなく仮面という違いはありますが。

サンの古代史モデルが「木花開耶姫」(コノハナサクヤヒメ)であることは、過去記事「愛鷹山とアシタカ」を読み直して頂きたいのですが、この木花開耶姫、瓊瓊杵尊への輿入れに関しては次の様な記述が古事記にあります。

 五 本花之佐久夜毘売

 ここに天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に麗しき美人に遇ひたまひき。ここに「誰が女ぞ」と問ひたまへば、答へ白さく、「犬山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ」とまをしき。また「汝の兄弟ありや」と問ひたまへば、「我が姉、石長比売あり」と答へ白しき。ここに、「吾汝に目合せむと欲ふは奈何に」と詔りたまへば、「僕はえ白さじ。僕が父犬山津見神ぞ白さむ」と答え白しき。かれ、その父犬山津見神に乞ひに遺はしたまひし時、いたく歓喜びて、その姉石長比売を副へ、百取の机代の物を持たしめて、奉り出しき。かれここに、その姉はいと凶醜さによりて、見畏みて返し送り、ただその弟木花之佐久夜毘売を留めて、一宿婚したまひき。

※日本書紀と古事記では漢字表記が異なります、ご注意ください

ここで重要なのは、本花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)と一緒にその姉の「石長比売」(イワナガヒメ)も輿入れさせたとあることです。つまり姉妹二人の嫁がいたということですが、石長比売は容姿が醜く能邇邇芸能命(ニニギノミコト)に返されてしまうのです。

ここで、疑問に思われるのが、「姉はひどく醜く妹はたいへんに美しい」という表現です。現実でそういうケースがあるかもしれませんが、一般的ではないでしょう。これは明らかに何か別の意味を象徴した表現、史書の暗号であると考えられます。

これについては、実は漫画家の星野之宣氏がその作品「宗像教授異考録」の中で、石長比売の醜さに関する記述について次の様な仮説を提示しています。

“謎多き熊本県の遺跡トンカラリン周辺で、顔面が平面に陥没した弥生時代の頭蓋骨が出土している。これは幼少期から顔に石の仮面を押し付け変形させたのではないかとも言われている”

画像5:石長比売の漫画表現

私もこの説はかなり有力であると考えており、なぜこんなことをするかと言えば、それは幼少の時より「優秀な巫女を育てるため」であると考えられるのです。先にも述べたように、仮面を装着すればそれはもう別人であり、託宣など巫女が重要な政治的ポジションを占めたと思われる古代期には、超人的な巫女としての能力を養うためにこのような極端な処置を行う慣習があったとしても不思議ではありません。

 関連記事:
  ・チブサン古墳とトンカラリンの小人 [2020/10/31]
  ・トンカラリン-熊本調査報告 [2020/11/30]

そして更に重要なのは

 正妻と巫女の二人の女性が天皇に嫁ぐ

という事象がここに描かれていることなのです。

以上から、「もののけ姫」に見る「二人のサン」の表現には、

 ・木花開耶姫 (仮面なし)
 ・磐長姫   (仮面あり)

の二人の姫の象徴が隠されていると考えられるのです。

■卑弥呼は双子であった

ここまで書いたところで、再び過去記事「ダリフラのプリンセスプリンセス」をご覧いただきたいのです。

この記事では卑弥呼と呼ばれる古代日本の女王が、実際は初代神武天皇の正皇后「ヒメタタライスズヒメ」すなわち

 イスズヒメ と タタラヒメ

の二人の后、それも双子の后を指しているのではないかと指摘しています。そして、どちらか一人が国家祭事を預かる巫女役として配置されており、それが、魏志倭人伝が伝えるところの「卑弥呼」だったのではないかと私は考えるのです。

どうして、年の違う姉妹ではなく、双子だと言えるのか?これは純粋に呪術的な理由でそうであろうと私は考えています。双子同士が互いの体調や何を考えているのかその思考まで、語らずとも理解し合えると言うのは経験的によく知られている話です。この神掛かり的な同調能力は、双子でしかなし得ない特殊能力であり、呪術者にとってはとても魅力的、つまり「おいしい」のです。

巫女能力の優劣が国運を左右したであろう古代期に、このような能力者を元首の傍に置くことは、政治的にも大きな意味を持ったことでしょう。

何か無理矢理な説明だなと思われる方も多いかと思いますが、実は「双子」という表現は「千と千尋の神隠し」の中でも採用されていたことを思い出してください。

画像6:銭婆婆(左)と湯婆婆(右)の双子表現

この2頭身の老婆は、ダリフラ(ダーリン・イン・ザ・フランキス)と同じ双子の姉妹、即ち、双子の卑弥呼(タタラヒメとイスズヒメ)を指していると考えられるのです。

■カオナシ:仮面の正体

さて、ここまで述べたところで再び舞台「千と千尋の神隠し」の話題に戻ります。前々節で「仮面」の話題に触れましたが、「千と千尋~」の中でも仮面を着けていた準主役的なキャラクターが居ましたよね?

画像7:カオナシ

もうお分かりの通り、仮面の存在とは「カオナシ」です。このキャラは作品を通して強く存在感をアピールしますが、結局その名前も正体も明かされないまま物語は終了してしまいます。

前節までに、ジブリ作品における「仮面」と「双子」について分析しましたが、ここで、その結果をこのカオナシに適用するとどうなるでしょうか?もうお分かりのように、

 カオナシはもう一人の千尋(双子姉妹)

であり、更にその古代史モデルに遡れば

 カオナシは巫女となった栲幡千千媛萬媛命の双子姉妹

と結論付けることができるのです。それを象徴するかのように、物語の終盤で千尋は湯婆婆の元へ帰り、カオナシは銭婆婆の元に残るのです。これは双子姉妹が別れてそれぞれの道に進むことを意味しているとは考えられないでしょうか?

画像8:二人は別れ別れに

また、物語に出て来るメッセージの一つに「名前を奪う」があります。湯婆婆が人を支配する為の魔術として描かれていますが、史実から消された双子の片割れとは「名前を奪われた存在」、別の言い方をすれば「顔を奪われた存在(カオナシ)」であることは明白です。

ここまで分析したところでやっと本題の結論が一つ答えられるようになりました。舞台がダブルキャストを採用した真意とは

 二人の千尋

を形を変えて表現したものなのです。そして、なぜそれをここで打ち出してきたのかについては更に別の考察を要しますが、それについては、振り返りポーズの意味と併せ別記事でお知らせしたいと思います。

これは、かつて人気を博した女性ボーカルバンド「プリンセス・プリンセス」、そして2年前に感染騒ぎで話題になった「ダイヤモンドプリンセス号」にも通じる問題なのです。


 * * *

おまけ

画像9:叶姉妹

上図は皆さんご存知の叶姉妹。いつの頃にか3人姉妹から2人姉妹になってしまいましたが、こう言っては失礼ですが、たいして芸も無いのにやたら露出が多いですよね。この「姉妹」が曲者で、実はここにも現皇室に向けた呪いのメッセージが込められているのです。

画像10:神奈川県浦賀の叶神社(2020年3月撮影)
入り江を挟んで東西の二社あることに注意

古代呪術は時の経過と共に忘れ去られた訳ではなく、現在に至るまで脈々と継承されているということです。



顔なしと呼ばれし君に会わむとぞ思ふ
管理人 日月土