ダリフラのプリンセスプリンセス

今月の節分の日、久しぶりにダリフラ関連の記事を(真)ブログ「ニッポン人だけが豆まきを祝う」の方で書きました。そこでの結論を以下に再掲します。

 (1) 主人公ゼロツーのモデルは古代女王のヒミコである
 (2) ヒミコとは神武皇后のヒメタタライスズヒメである
 (3) 上(1)(2)よりヒミコにはゼロツーと同じく角がある

そして、(新)ブログでも記事「DIAMOND PRINCESS」において、掲載同日、日本で進行している事柄と関連してヒミコを取り上げ、そこで次のような想定を用いています。

 (4) ヒミコは双子の姉妹である

ここで、(2)の項目に関しては説明不足であるとは認識していますので、これについては、同説を教授して頂いた知人の研究者と詳細を詰め、なぜヒミコがヒメタタライスズヒメと比定され得るのかについて、後日説明申し上げたいと思います。

ヒミコとは誰か、これまでの議論

ヒミコに関しては、様々なヤマタイコク本がどのような人物であったかを推測しており、その代表的なのが次の2点ではないかと思います。

 A. 天照大神説
 B. 神功皇后説

どちらも記紀に登場するキャラクターで、A説は言わずと知れた太陽神、皇室の祖先と崇められ、伊勢神宮で主祭神として祀られている有名な神様です。

そして、B説は女性ながら日本の三韓征伐軍を率いた傑女として描かれた、14代仲哀天皇の皇后であるオキナガタラシヒメを指すとするものです。

A説に関しては、神道における絶対神のアマテラスさんを、神格化を否定し実在人として捉えたまでは良いのですが、そのまま女性と解釈するところに大きな誤りがあります。ホツマ伝の記録では

 アマテラスは男性

とされ、アマカミ(現在の天皇)の地位にあったとされています。当然ながら后に女性(ムカツヒメ)を娶り、後代アマカミのオシホミミを授かります。

ホツマ伝の記述が必ずしも絶対的事実とは言えませんが、少なくとも神格化を否定したのならば、性別についてもその作為性について疑うべきでしょう。世界の神話においても、北欧神話などを除けば太陽神は男性であることが主流です。この点で最も興味を惹く事実とは、むしろ

 どうして太陽神の性別を女性としたのか?

そして、

 どうして天の岩戸開きなどという寓話を挟んだのか?

という日本神話の特異性そのものなのです。

天照大神の天の岩戸神話
画像1:岩戸開き神話(春斎年昌画、1887年)

B説については、その実在可能性については女性アマテラスさんより高いのですが、如何せん、中国三国時代に使者の行き来があった(魏志倭人伝)とされるヤマタイコクのヒミコが、それより100年以上後の三韓時代の皇后とされるオキナガタラシヒメと同時代と見るのはやはり無理が多いと思われます。

なお、魏志倭人伝はヤマタイコクの存在事実を攪乱するために後代の日本で書かれた偽書とも考えられますので、そこに記載されている年代についてはちょっと注意が必要ですが。。

どちらにせよ、A説、B説共に説得力に欠け、その実体は、何となく古代史に登場するヒロインをヒミコに当ててみたといったところでしょう。積極的な証拠がないという意味では私も似たようなものですが、それについては読者の皆さんがそれぞれご判断頂ければよいかと思います。

■アニメに描かれた双子の関係性

これ以降の話は、ヒメタタライスズヒメ=ヒミコ、と解釈する前提で進めます。(新)ブログでは、

 ヒメタタライスズヒメ = タタラヒメ & イスズヒメ

つまり、この姫は二人の姫(プリンセス・プリンセス)を表し、おそらく双子であろうと述べている訳ですが、名前をこのように分けた理由について説明すると

 タタラ=多々良 → 製鉄
 イスズ=五十鈴 → 鉄鉱

と、それらがお互い関連し合いながらもそれぞれ独立した意味を持つからです。ここから、神武天皇の時代は鉄、または鉄器が極めて重要視された時代だったのであろうと窺い知る事ができます。

さて、この関係を、ちょっと無理目ではありますが、アニメの設定に置き換えてみましょう。

 イスズ → 地下に眠る原石
 タタラ → 地上で原石の力を引き出す

ですから、つまり

 イスズ → Code:001 地中に潜む叫竜(きょりゅう)の姫
 タタラ → Code:002 地上人として能力を開花させたゼロツー

そして何より

 ゼロツーは叫竜の姫の遺伝子から作られたクローン人間

つまり、二人が同一遺伝子を持つ存在として描かれていることに注目です。これは

 二人が双子であること

の暗示的表現と捉えることができます。この部分だけでも、このアニメの制作者はヒメタタライスズヒメ(ヒミコ)が双子であったことをよく知っているなと、感心してしまうのです。

画像2:叫竜の姫とゼロツー
XXのペアは二人の女性を表す
画像3:ダリフラは初めから双子のプリンセスの物語として意図されていた
FLANXXの「XX」は女性の染色体を表す

知るべきところには知識は伝承されている。それを思うとヤマタイコクを巡るこれまで数十年間の議論自体が何だか虚しく聴こえてきますよね。

■ナインズは欠史代天皇の象徴

前回のダリフラ関連記事「太宰府で繋がる新元号とダリフラ」で、私は、登場人物のナインズ(NINES)が、ゼロツーがカウントされていないので9人でなく8人しか描かれていないが、

 実はこの8人構成に意味がある

と表現しました。ここまで書けば後はもうお分かりでしょう。ナインズの8人にはゼロツーの遺伝子が組み込まれているという設定ですから、つまり、ナインズとは

 ゼロツーの血を受け継ぐ者たち

すなわち

 ヒメタタライスズヒメの子孫たち

という事実の象徴であり、すなわち

 綏靖から開化までの欠史代天皇

を表現しているのです。ゼロツーのパートナー、ヒロ(Code:016)は神武天皇をモデルにしたとみなせますし、ストーリーの最終回ではナインズと共に戦っているので、ここからナインズの真のメンバーとは

 ヒロとその他のメンバーたち

つまり

 初代神武天皇、及び綏靖から開化までの天皇八代

を表しているのは間違いないでしょう。そして、全てのメンバーに有角遺伝子が引き継がれてたのですから、彼らの事を

 九鬼(くき)

とも呼ぶのです。そして、ヒミコと同じくやはり本当に角がある人間であったと考えられます。寺社用語として時より登場する「九鬼」という言葉は、初代から第九代までの歴代天皇のことを表し、すなわち、日本風水における独自の「鬼門」の設定や、寺社でこの時期に実施される節分の豆まきとは

 日本建国の古代王たちを呪う

という意味であり、後の反日的陰陽師、僧侶、その他祈祷師等によって開発された呪いの儀礼なのです。なぜここまで九鬼が嫌われるのか?そして現皇室との関係は?それについては記事を改めて推考を進めたいと思います。

* * *

その国の歴史を知ろうと思うなら、その国の宗教を知らねばならないと良く聞きます。しかし、日本の場合は、それよりも更に、宗教の奥底に潜む呪詛の思想、呪詛の技術を知らなければ、とてもじゃないですが過去起きた出来事の真意など掴むことはできません。

一見くだらないような言葉の組み合わせにも経験に裏付けされた心理操作のテクニックが詰まっており、それを巧みに操って、個人や集団を意図する方向に誘導することができます。記紀が編纂された本当の目的とは、子孫の代に渡って日本人の思考を支配するためではないかとすら思われるのです。

ダリフラというアニメはその描画表現と言葉のテクニック用いて、国内の一部にだけに残されている歴史の真実を、作品を通して視聴者に開示しようとしているのではないか?そう思える節が数多く見て取れるのです。

ヒミコの居た古代から現代にまで繋がる「双子の姫=プリンセス・プリンセス」の呪い。現代版のそれについては私たちにとってたいへん生々しい内容を含むため、これまで詳細をぼかしてきましたが、3月1日に開始するメルマガ第1版ではその細部をブログに先行して詳しくお知らせすることにしました。しばしお待ちください。

誠の神力を現す世と成れる
管理人 日月土


太宰府で繋がる新元号とダリフラ

昨日4月1日、政府より新元号「令和」が発表されました。

情報が漏れないよう、新元号選定関係者は厳重に情報管理されていたとされていますが、暗号報道の形でかなり細部の情報まで事前に出回っていたことは(真)ブログ「新元号発表と前日の出来事」でお知らせした通りです。

今回の発表で、私もちょっと驚いたのは、元号制定の根拠となった古典が「万葉集」であったことです。そして、直接元号の由来となった序文が、

 太宰府

にて読まれたものだということです。新元号発表の2日前、3月30日に、ダリフラのアニメタイトルに「太宰府」が暗号として織り込まれているとの前記事「“ダリフラ”、タイトルに隠された暗号」を出したばかりですから、まさか、その話題に被るようこの元号が示されたことに、単なる偶然を越えた何かを感じずにはいられません

九州の地方紙、西日本新聞で出された記事

ここで、太宰府市における26の地区名の中から気になるものをピックアップしてみます。

 01.観世音寺     カンゼオンジ
 02.国分       コクブ
 03.五条       ゴジョウ
 04.宰都       サイト
 05.宰府       サイフ
 06.坂本       サカモト
 07.三条       サンジョウ
 08.白川       シラカワ
 09.朱雀       スザク
 10.高雄       タカオ
 11.通古賀      トオノコガ
 12.都府楼南     トフロウミナミ
 13.長浦台      ナガウラダイ
 14.梅香苑      バイコウエン
 15.御笠       ミカサ
 16.水城       ミズキ
 17.連歌屋      レンガヤ

また、隣接する福岡県大野城市36地区の中から次を取り出します。

 18.牛頸       ウシクビ
 19.大城       オオキ
 20.乙金       オトガナ
 22.乙金台      オトガナダイ
 22.乙金東      オトガナヒガシ
 23.上大利      カミオオリ
 24.雑餉隈町     ザツショノクママチ
 25.下大利      シモオオリ
 26.下大利団地    シモオオリダンチ
 27.東大利      ヒガシオオリ
 28.御笠川      ミカサガワ
 29.瑞穂町      ミズホマチ
 30.南大利      ミナミオオリ
 31.紫台       ムラサキダイ
 32.横峰       ヨコミネ
 33.若草       ワカクサ

全部について一つ一つ説明するとキリがありませんので、まず次のグループに分けます

 グループ1:国の中心を表す地区名
  04.宰都、05.宰府、12.都府楼南
 グループ2:都市の形状を表すもの
  03.五条、07.三条、09.朱雀
 グループ3:大利と付くもの
  23.上大利、25.下大利、26.下大利団地、27.東大利、30.南大利
 グループ4:地形を表すもの
  08.白川、13.長浦台、28.御笠川、32.横峰
 グループ5:歴史の用語によく登場するもの
  01.観世音寺、02.国分、16.水城、19.大城
 グループ6:皇子、皇女の名に関連すると思われるもの
  31.紫台、33.若草
 グループ7:歌に詠まれた、神話に登場したと思われるもの
  06.坂本、15.御笠、
 グループ8:その他

ここでは、グループ1~3に注目します。


太宰府が国の中心であることを表す「都」と「宰」の字

現在、地方行政区で「都(みやこ)」の字が付けられているのは、東京都のみ。日本の首都であり政治的中心地です。明治政府が成立する前は、現在の京都符が首都と言えますが、その名残りが京都の「都」の字に表れています。共に共通するのは、天子(天皇)がご在所する場所だ(だった)ということです。

単に「都」の字が付く地名なら、全国に色々ある訳ですが、太宰府が特別なのは、「宰」の字が付けられていることです。「宰」とは「宰相」という単語からも分かるように、「多くの役人を統率する人(長)」という意味があります。つまりこれが地名に付けられるということは、ここが政治的中心地であったことが窺われるのであり、更にそこに「都府楼=都(みやこ)にある府庁」という行政の中心ともとれる意味が付与されているのですから、

 太宰府は首都を現す地名

と捉えて良いはずです。それはすなわち

 天子(天皇)がご在所された土地

を意味します。加えて、ここが元々整備された都市であったことを示すのが、グループ2の語群にある、現在の京都と同じように真っ直ぐな通りを表す「条」であったり、都市の南に設置される門を示す「朱雀」であると考えられるのです。


「大利」を「ダイリ」と読めば

太宰府市に隣接する大野城市には、地名に「大利」の字が残る地域が、比較的多く存在します。現地ではこれを「オオリ」と呼ぶのですが、これは「大」を訓読み、「利」を音読みするいわゆる湯桶読みです。これを両方音読みするとどうなるでしょうか?

 大利 → ダイリ

ダイリとはすなわち「内裏」、おダイリ様のダイリと同音となります。その意味は、Wikipediaによると

 ”古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。 御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。”

とあります。やはりここでも、「天皇」との関連が顔をもたげてくるのです。そして、これはグループ1,2の語群とも意味的に整合するのです。

太宰府市と大野城市
周辺行政区の地名にも注意


歌に詠まれたのはやはり大宰府

(新)ブログ記事「三笠の山の月を詠む」で、次の有名な和歌

  天の原 ふりさけ見れば 春日なる
   三笠の山に 出(い)でし月かも  
                安倍仲麿

は、実は太宰府市にある宝満山(ほうまんざん)、別名「御笠山(みかさやま)」を詠んだ歌ではないかとの考えをご紹介しました。この歌に登場する「春日」という言葉に再度ご注意ください。古代、博多湾は現在春日市の北部まで迫っており、この歌が船から眺めた御笠山を詠んだものであるならば、旅立ちの港となる春日は、安倍仲麿にとってもたいへん印象が強い土地の一つであったはずです。

その春日の港の先に、都である太宰府があり、そこにそびえる御笠山に月がかかるのを見て、詠み人はふと郷愁を覚える。これこそが、この歌の本質であります。

安倍仲麿は奈良時代の官吏です。時代的には新元号の拠典が詠まれたのと同時代の人物です。通説なら、奈良の都を出立し遣唐留学生として唐に向かう旅の途中の出来事を歌に詠んだと解釈されるのですが、途中立ち寄った役所の一支所に過ぎない土地の山に、そんなにもしみじみと郷愁を覚えるものでしょうか?

ここで、都府・宰府・内裏、すなわち太宰府が天皇が居する当時の都であったとするならば、歌の解釈は、まさに都を離れんとする官吏の都への郷愁へと結ぶことが可能なのです。すると、ここからとんでもない仮説が導かれます。最近の記事で「神武天皇御陵は福岡県にある」とお伝えしておりますが、神武時代からおよそ700年ほど経た奈良時代、その時でも都はまだ太宰府にあったことになります。つまり

 奈良時代などなかった

という結論になり、勢い飛鳥時代などというものも存在しないという事になってしまいます。

それに関連して、懇意の遺跡発掘の専門家Cさんにこんなことを聞いたことがあります

 「もしかして、奈良時代や平安時代なんてなかったのではありませんか?」

バカにされるかと思って尋ねたのですが意外にも次のような答えが帰って来ました

 「日月土さん鋭いですね。平安時代が存在したという、遺跡上の根拠なんかないんですよ」

えっ、平安時代もなかった!?


フランキスとフランクス

太宰府でここまで引っ張りましたが、ここからアニメの解説となります。アニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を鑑賞された方は、作品を見始めた時に次のような疑問を最初に感じたはずです。

”タイトルは「フランキス」なのに、作中での呼び名は何で「フランクス」なのだ?”

アニメを観てない読者さんのために補足すると、フランクスとは作中に登場する戦闘ロボット(人工生命体)のことです。

物語の中では「キス(kiss)」が一つのキーワードになっており、何となくその台詞の勢いに押されて、タイトルは「フランキス」でいいのかな?と思ってしまうのですが、実はここにも大きな暗喩が潜んでいるのです。次の分析図を見てください。

ダリフラタイトル分析図

(1)の文字違いの比較から見てみましょう。呼び名が異なる「キ」と「ク」を抽出して並べると、①キク、②クキの2パターンが出てきます。このアニメが「日本成立史の情報開示」という大きなコンテキストの流れにあるのなら、この2語は次のように漢字変換できます。

 ①キク → 菊

 ②クキ → 九鬼

②の九鬼とはまさに作品中に出てくる、「叫竜(きょりゅう)」の血が入ったゼロツーのクローンによる戦闘集団、つまり9人の鬼の集団である「ナインズ」を指すのは明らかです。よって、この一文字違いは意図的にタイトルに埋め込まれていたことが明確になります。

なお、九鬼という言葉は、九鬼文書や日蓮宗の九鬼の秘術など、呪術世界でもよく使われる言葉ですが、その真意について明かされたものを私はまだ見たことがありません。

パパの近衛兵であるナインズ(九鬼)
図は、ゼロツーが欠けており8人である。実はこの8人構成に意味がある

すると①の菊も意図的に織り込まれた暗号であり、主人公「ヒロ(16)」の存在と重ね合わせると、これが何を指しているのかはもう明確ですよね。

16菊花紋-天皇家の象徴

次に(2)のキーワードの比較です。作品を通して「キス」が重要なキーワードになっていることは上述した通りですが、これをクスと読むとどんな意味が生まれるのでしょうか?

 ③クス → 九州

もちろん樹木の樟もあるのですが、樟の木は九州を代表する樹木であり、むしろその名は「九州」に由来するものだとも言えます。

新元号の太宰府、ダリフラの太宰府、そして今回の分析よって出てきた新なキーワード、「天皇」「九鬼」「九州」。ここまでの分析にとりあえず矛盾はなさそうです。

九州の太宰府に天皇の出自に関る何かがあるのか、九鬼とは何を指し、どう太宰府や天皇と繋がるのか、ダリフラに隠された暗号は、思いのほか深いものがあるようです。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土

“ダリフラ”、タイトルに隠された暗号

この記事は、アニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を鑑賞し終わった読者さんを対象に書かれています。記事中に一部ネタバレ的な内容を含むかもしれませんのでご注意ください。

2018年のアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」

まずは、(真)ブログ「日本の始まりとダリフラ」で説明した内容のおさらいです。要点を挙げると次の様になります。

・ヒロイン名「ゼロツー」は「02」の別読み、すなわち「鬼(オニ)」、あるいは「和邇(ワニ)」を意味している。
・匿名の原作者名「000」は輪が3つ、すなわち「三輪」を表している

お分かりのように、これは歴史の年表を覚える時に、「何も無くし(794)た平安遷都」などと覚えるように、語呂合わせの要領で、逆に数字から元の語句を推測する方法を取っています。

このアニメをご覧になられた方は、登場人物がただの数字で呼ばれるなんて、何て味気ないのだと思われたかもしれませんが、実はその解読方法については主人公の「コード016」、通称「ヒロ」が仲間の名前を数字の語呂合わせから考案したという下りに凝縮されているのです。

もう一人の主人公となるヒロ(コード016)

日本人にとって数字は単なる記号でなく、数字に紐付けられる音によって数字以上の特別な意味を持つようになります。古神道の中に物部の数詞(かずうた)というものがあるのですが、それは「一二三四五六七八九十」と書いて「ひとふたみよいつむななやここたり」と読み、これだけで立派な祝詞、あるいは呪文として意味を持つのです。呪術の世界では生命を復活させる力があるとされています。

この漢数字の中で、例えば「四」を取り出せば、その音は「し」または「よ(ん)」であり、その音は更に「死」「子」「夜」「世」・・などの多くの意味を持つことになります。その点においては、数字の並びは、漢字や平仮名よりも多くの意味を同時に持たすことができるので、暗号を仕込む方法としては実はたいへん都合が良いのです。

■アナグラムで読む”ダリフラ”

さて、暗号を仕込む方法としては、アナグラムという文字の並べ替えが良く使われます。このアナグラムを用いて、このアニメのタイトルを分析しましょう。

タイトルは「ダーリン・イン・ザ・フランキス」ですが、英語のカタカナ表記なので、英文に合わせ「・」(なかぐろ)によって単語毎に言葉が区切られています。実はこの言葉を区切るというというのが曲者なのです。

以下は「いろは歌」の暗号としてかなり有名なものですが、まずこれを見てみましょう。

いろは歌の暗号
一般に、咎なくして死するを善しとした人物とは、イエス・キリストを指す

この暗号を抽出するには、どこで言葉を切るのかが重要になってきます。ところが、ダリフラのタイトルの場合はどこで言葉を切ったらよいのか、既に記号で示されているので、こんなに楽なことはありません。それではそちらも同じ様に分析してみましょう。

ダリフラのタイトル文字を分析

すると、「ダイザフ」なる言葉が浮き出してきました。これをアナグラムとして更に並べ直すと、意味のある言葉が出てきます。そう、もうお分かりですね、それは

 太宰府(だざいふ)

となります。あの学問の神様、菅原道真公を祭り全国的に有名な太宰府天満宮のある、福岡県太宰府市のことです。

いきなり太宰府が出てきて何のことと思われるかもしれませんが、実はこれまでに出てきたキーワードとちゃんと関連してくるのです。下の福岡県の地図を見てください。

太宰府市(赤)と旧三輪町(黄)、那珂川市(青)
三輪町は2005年に夜須町と合併して筑前町に、那珂川は昨年市に

前述の「三輪」を奈良県桜井市にある三輪山と想定すると、この関連性は分からないかもしれません。ここで言う三輪とは、福岡県にある旧三輪町のことを指します。太宰府と三輪が地理的に近いのは上記地図を見ればお分かりだと思います。そして、青く塗った(現)那珂川市は、(新)ブログ「両陛下へ繋ぐ神武天皇御陵」でもお伝えしたように、本物の

 神武天皇御陵

が鎮座する土地なのです。それらから、ダリフラが何故タイトルにまで「太宰府」なるキーワードを埋め込んできたのか、その真意が見えてきます。私はそれを「日本成立期に関る情報の開示」と見立てました。

実は、このタイトル、もう一つ別の意味を含んでいるのですが、太宰府に関する詳細な情報を含め、それはまた次回以降の話題に譲りましょう。

最後に、主人公の「ヒロ」について触れたところで、コード016の意味について考えましょう。語呂については既に「1(ヒ) 6(ロ)」と出ていますので、こここでは数字として単純に見ればその意は明らかです。

16菊花紋章-天皇家の象徴

16なんて数字はどうにでも解釈可能ではないかと思われるかもしれませんが、これが「菊」であるという暗示が実はアニメの中に示されています。それについては次回触れることにします。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土

欠史八代の天皇と皇后

これまで神代(神話の時代)とされていた頃の日本古代史上の人物について考察してきましたが、今回はそこから少し離れて、神代から人皇の時代へと移り変わった直後の記録について見て行きたいと思います。

記紀では、神武天皇が人の世の王として最初に現れた天皇とされていますが、神武天皇については一旦考察を保留し、その次ぎの2代目から9代天皇までについて、取り敢えず史書に残された記録を纏めてみることにします。

既にご存知の様に、2代目から9代目までの史書における記述は余りに少なく、その少なさ故に、

 欠史八代(けっしはちだい)

などと、「史実が欠けた八つの代の天皇」の意味で呼ばれていたりします。

この記録の少なさは、古代史研究者の間でも「その代の天皇は実在などしていなかったのでは?」と歴史の実在性への疑問を唱える声となっているようです。

それはそうでしょう、現在の歴史研究とは主に文献研究であり、その文献自体が存在しなければ、歴史学者にとってその時代は存在しないのも同然なのですから。

■史実が残されていない意味を考える

これまでの記事で、「史書類は改竄の書、暗号の書」と散々述べてきた手前、この史実欠落の理由についても一言私の考えを述べておかなくてはなりません。

神代の記述については、史実のファンタジー化・神話化により、都合の悪い史実を「まるっ」と改変しながら、事実を読み解く解読キーをこそっと文中に残す手法を取っていたと考えられます。そして、実際にその考え方を応用して神代の記録をこれまで読み解いてきたつもりです。

ところが、その史実そのものが記述されていない場合はどう解釈したら良いのでしょうか?おそらく、この時代は神代記のように「改変と暗号キー」でどうにか書き換えるのも叶わないほど、

 歴史的に大混乱した時代

だったと考えられるのです。つまり、時系列的に筋道を立てられるような改変が不可能な程、混乱に満ちた時代であったとも考えられるのです。

ですから、日本古代史、あるいは日本成立史を理解する上で、この欠史八代期の史実を知ることは非常に重要なのではないかと私は考えるのですが、如何せん記述が少ない件についてはどうにもなりません。そこで、今回はその僅かな記述を整理して、そこから何を読み取れるのか、あるいは読み取れないかを検証したいと思います。

■欠史八代の天皇と皇后

取り敢えず、日本書紀の記述には、娶った皇后の名前、生まれた子の名前、都(みやこ)が置かれた地名などが残されているので、まずは欠史代の天皇(すめらみこと)について、その皇后の名をリスト化してみました。

参考までに秀真伝(ほつまつたえ)に記述された皇后の名も添えています。

表1:欠史八代の天皇とその皇后(日本書紀・秀真伝)

皇后の名に注目したのは、これまでお伝えしてきたように、「日本の王権継承は女系によって行われてきた」という少女神仮説が成り立つであろうと考えたからです。

画像1の場合、赤枠で囲んだ二人の媛については「事代主の女(むすめ)・孫」と断り書きが付いており、この場合の「事代主」とは時代的に大国主の息子である事代主のことではなく、同事代主の孫に当たる「八重事代主(やえことしろぬし)」のことであろうと考えられます。

過去記事「三嶋神と少女神のまとめ」で述べたように、八重事代主は、史書によって「丹塗矢」、「大物主神」、そして「鵜葺草葺不合命(うがやふきあへず)」とその名が変えられており、いずれにせよ玉依姫(たまよりひめ)という少女神に婿入りしています。当然、その娘は少女神の継承者、すなわち王権の継承者であると考えられるのです。

またその娘の娘、すなわちその孫娘についても同じことが言えます。よって、書紀の記述にある「五十鈴依媛(いすずよりひめ)」と「渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)」の両者についてはおそらく少女神であっただろうと判断できるのです。

さて、そこまでは良いのですが、4代目の懿德天皇以降はどうもその手掛かりが見つかりません。この後、日本書紀も秀真伝も男系継承として天皇の代が続いて行くのですが、それを覆すようなヒントは今のところ見つかっていないのです。

この欠史代期の考察については、これまで次の記事で取り上げています。

 1)ダリフラのプリンセスプリンセス 
 2)富士山は突然現れた? 
 3)菊池盆地の大遺跡と鉄 

1)はアニメ作品「ダーリン・イン・ザ・フランキス」に登場するナインズの8人のメンバーが欠史八代に対応していると仮定した場合の考察。

2)は旧事紀30巻本の孝霊天皇の代における富士山に関する異変についての考察。

3)は文中において特に欠史代に触れていないものの、第2代綏靖天皇が祭神とされている、熊本県菊池市の日置金凝神社(へきかなこりじんじゃ)を写真で紹介しています。

どれもまともな歴史資料とはちょっと言い難いのではありますが、少なくとも欠史代が存在していた痕跡を感じさせるものではあり、やはりこの代を全く無視して日本古代社会の成立過程は語れないのだろうと思わせるのです。

まだ漁るべき資料は幾つか残っています。少々尻切れトンボとなりましたが、次回、もしくはそれ以降の回で謎の欠史代について再び切り込んでみたいと思います。


フィオーレ(花)の森を登れば白壁の祈りの堂に君を見染めし
管理人 日月土

大空のXXと少女神の暗号

年が明けたばかりの今月6日、某所(後で説明)の現地調査に向かったのですが、移動中に空を見上げて驚いたのが、そこに描かれた二つの「X」の文字だったのです。その状況は(真)ブログ記事「新たな祭の始まり」で触れています。

それが自然にできた雲によるものなのか、あるいは飛行機雲なのか、その発生源については未だに不明ですが、空に文字様の雲を見かけるのは必ずしも珍しいことではありません。それでも今回驚いたのは、そこに描かれた文字が「XX(ダブルエックス)」であるということ、また「XX」を見たのがこれで2回目だということなのです。

最初の目撃体験については、昨年4月の(真)ブログ記事「大空のダブルエックス」で触れていますが、何より不気味に思えたのが、「XX」を目撃した2回の調査活動の目的が

 少女神のルーツを探る

という、同じテーマであったことなのです。

画像1:2度出現したXX状の雲

■ダリフラのXXの意味を再考する

4年近く前、(神)ブログを始めた頃に2018年のアニメ作品「ダーリン・イン・ザ・フランキス」(以下ダリフラ)を取り上げ、そこに隠された日本古代史について分析を行いました。

取り敢えず、その時点で気付いた要素については一通り記事にしたつもりだったのですが、そう言えば、このアニメのタイトル画には「XX」が2つも描かれていたのを思い出したのです。

画像2:ダリフラのタイトル画

ここで、過去の記事を読み返してみたのですが、当時はまだ上古代における皇后兼巫女の女系継承問題、いわゆる「少女神」についてはその概念すらなかったので、分析の方向性は

 双子の皇后

すなわち、政治的なポジションとしての皇后と、宮中祭祀など巫女的役割を担った二人の皇后がいたのではないか、その点にのみフォーカスし、血の継承問題については特に分析の対象とはしていませんでした。

そこで、偶然?にも二度目撃した「XX」に鑑み、ここではこれまでのダリフラ分析に新たに女系継承の視点を取り入れてみようと思い立った訳なのです。

これまでのダリフラ関連記事:

 1)2019年3月30日 “ダリフラ”、タイトルに隠された暗号 
 2)2019年4月2日 太宰府で繋がる新元号とダリフラ 
 3)2020年2月27日 ダリフラのプリンセスプリンセス 

さて、タイトル画以外に「XX」の意味について触れたシーンが作中に一箇所あるので、まずはそこを押さえておきましょう。

画像3:生体兵器「叫竜」(きょりゅう)の肉体はXX(女性遺伝子)で構成されている
(第20話より)

アニメの設定における位置付けはともかく、画像3をのシーンを見る限り、少なくとも「XX」がX染色体、すなわち「女性遺伝子」を指していることは明らかです。問題なのは、画像2のタイトル画で象徴されるように、何故「女性」と「遺伝」をここまで強調するのかその点なのです。

単純に考えれば、これは女性の特性が遺伝的に続くこと、すなわち女系の血の継承を表現しているのではないかと取れるのですが、いかがでしょうか?

これまでの分析により、アニメの主人公である少女「02」(ゼロツー)は、その数字が「鬼」を表すことから、鬼道(呪術)の使い手で知られる卑弥呼、そしてその実体である神武天皇の皇后、媛蹈輔五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)をモデルにしているだろうと予想しています。

また、「媛」ヒメの字がその名に2箇所使われていることから、恐らくこれが双子の皇后の存在を表すであろうとも結論付けています。アニメでは「ゼロツー」が「叫竜の姫」の遺伝子クローンという設定になっていますので、これはまさにヒメタタライスズヒメが双子であることを遠回しに表現しているのではないかと捉えたのです。

これらを少女神の視点から更に表現し直すと

 双子の皇后ヒメタタライスズヒメは、特定女系の血を引き継いでいる

となるのです。

実は、この予想を補足する作品中のメッセージとして、次の登場人物のネーミングが大きな意味を持つことに後から気付きました。

画像4:二人の主人公の世話役「ハチ」(008?)(右)と「ナナ」(007/077?)(左)

二人の役どころは、主人公達を含む「子供」と呼ばれる少年・少女戦闘員の世話役、物語の最後では彼らの親代わりというポジションに移るのですが、まずここで親子という世代継承のニュアンスが表現されているのが分かります。

しかし、数字をそのまま読み替えただけだろうこの二人の名前は、より重大な意味を含んでいることが以下の分析から見出せるのです。なお、この二人に限っては、他のキャラには付けられているコードナンバーが何故だか設定上でも明記されていないので、「ハチ」については「8」、「ナナ」については「77」の数字を割り当てることにします。

画像5:二人の名は「皇后」を表す。

3桁の数字「123」が「天皇」の意味を持つことは(真)ブログ記事「新嘗祭イヴの呪い」をご確認頂きたいのですが、実はこの場合「877」という数字が転じて「皇后」を意味することはこれまで説明したことはありませんでした。

どうしてそう言えるのかは、画像5を見ればお分かりの様に、この二つの数字が加算された時に初めて新しく4桁目が生じる、すなわち、天皇と皇后の組み合わせが新しい次の世代を生み出すと解釈できることに拠るのです。

ここまで来ると、「ハチ」と「ナナ」のネーミングは適当に付けられたものとは考えにくく、明らかにこれは、「皇后」に関連するメッセージを強く含んでいると考えられるのです。

古代史ならず日本の歴史の主役は「天皇」であると私たちは考えがちですが、どうやらダリフラが意図する歴史的視点は、皇后の輩出家系についても大いに注目しているようなのです。

■ヒメタタライスズヒメと三嶋溝橛

さてここで、ダリフラにおいて角の有る美少女キャラのモデルとなったであろうヒメタタライスズヒメが史書の中でどのように記述されているかを確認してみます。

此の神の子は、即ち甘茂君等(かものきみたち)・大三輪君等、又姫蹈韛五十鈴姫命なり。又日はく、事代主神、八尋熊鰐(やひろわに)に化為(な)りて、三嶋の溝樴姫(みぞくひひめ)、或は云はく、玉櫛姫(たまくしひめ)といふに通ひたまふ。而して児姫 蹈韛 五十鈴姫命を生みたまふ。是を神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといはれびこほほでみのすめらみこと[=神武天皇])の后(きさき)とす

日本書紀神代上第八段一書から

これの他に、次の箇所でも登場します。

庚申年(かのえさるのとし)の秋八月(あきはづき)の癸丑(みづのとうし)の朔(ついたち)戊辰(つちのえたつのひ)に、天皇、正妃(むかひめ)を立てむとす。改めて広く華輩(よきやから)を求めたまふ。時に、人有りて奏して日さく、「事代主神、三嶋溝橛耳神(みしまみぞくひみみのかみ)の女(むすめ)玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める児を、号(なづ)けて媛蹈輔五十鈴媛命と日す。是、国色(かほ)秀れたる者なり」とまうす。天皇悦びたまふ。

日本書紀神武天皇記本文から

以上から、書紀では神武天皇の正皇后であるヒメタタライスズヒメは事代主神と玉櫛姫の間に生まれた子と記述されているのですが、秀真伝ではその辺の関係性が少し異なります。

画像6:秀真伝によるヒメタタライスズヒメの系譜

上図の様に、秀真伝によれば玉櫛姫を娶った事代主と言うのは、同じ事代主でも孫の世代に当たる「ヤヱコトシロヌシ」を指すようなのです。

事代主は皇統の代で言えば瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と同世代になりますから、その娘が瓊瓊杵尊のひ孫に当たる神武天皇の后になるというのは少し不自然です。ですから、同じく事代主のひ孫世代がヒメタタライスズヒメとなる秀真伝の記述の方が、より真実に近いと考えられます。

さて、今回の注目点は「少女神」ですから、そうなるとどうしても気になるのが、画像6でも示した、皇后を輩出した家系

 三嶋溝橛(みしまみぞくひ)

とは何者なのか、その点なのです。残念ながら、秀真伝でも三嶋溝橛の妻の名、およびそれより遡った系図は出ていません。

少女神と言う概念を初めて取り上げた記事「少女神の系譜と日本の王」で、私は「みシまる 湟耳(こうみみ)」氏が書かれた本「少女神 ヤタガラスの娘」を紹介しましたが、その中でネタバレ防止の為、次の様に一部を伏せて書いている箇所があります。

古代皇統の権威は特定家系である「☆☆☆」家の少女の元へ入婿することによって引き継がれてきた

もうお分かりのように、この伏字に入る文字は

 ミシマ

なのです。また、著者が三嶋溝橛にたいへん注目していることは、ペンネームの「みシまる」に如実に表れているとも言えるでしょう。

これまで、国内少女神の家系として、伊弉冉尊(いざなみのみこと)から始まる、下照姫の家系、月読尊の家系を予想していましたが、今回登場した三嶋溝橛がそのどちらかの系統に繋がる血筋なのか、あるいは全く別の女系一家なのか、新たなる謎が加わることになりました。

ダリフラというアニメは、素人目に見ても相当に脚本を練った作品、あるいは古代史情報をふんだんに詰め込んだ作品と認められるのですが、ここまで出してくる目的とはいったい何なのか?表現者のその意図を含め、今後の分析が求められるのです。

■大空のXXが意味するもの

次の2つの写真は、空にXXが出現した当日の調査対象です。

画像7:香良須(カラス)神社 愛知県豊田市市木町(令和4年4月11日撮影)
画像8:三島神社 千葉県君津市糠田(令和5年1月6日撮影)

香良須神社はみシまる氏の著書に書かれていたことから、半ば興味本位で向かった場所ではあるのですが、現地の客観的な情報からだけでも次の点が窺えます。

 祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)→ ワカヒメ → 下照姫(少女神)
 所在地は市木町(いちきまち) → イチキ → 市杵島姫(少女神)

そして、君津の三島神社については特に語る必要はないでしょう。

大空のXXが少女神調査との関りで出現したものなのか、それとも単なる偶然なのか、それは私にもよくわかりません。ただ、このテーマが日本(にほん)という国の成立ちを知る上で、避けて通れないものであることを、ひしひしと感じるのです。


賀茂川を上りて向かう姫宮は紅差す御身の清き里なり
管理人 日月土

菊池と菊池一族

これまでに3回ほど熊本県菊池市、及び隣接する山鹿市の現地調査について記事にしています。そこで扱った内容を簡単にまとめると次の様になります。

 ・現在の菊池盆地はかつて茂賀の浦という湖であった
 ・鞠智城(きくちじょう)は百済移民の収容施設だったのではないか
 ・菊池川周辺は古代期から鉄の生産が盛んであった
 ・現地神社にみられるユダヤ文化の痕跡

これで、菊池という土地の様子が少しだけ見えてきたのですが、そうなると無視できないのが、その土地の盟主である菊池一族なのです。

■菊池氏は本当に藤原氏の末裔なのか?

菊池氏の由来をここで細かく記述しても、既にある書籍や他のWebサイトと同じになってしまうので省略したいと思いますが、当の菊池市の観光課がたいへん面白く分かり易い漫画ムービーのWebサイトを制作されていますので、ここを紹介することで説明の代わりとしたいと思います。

画像1:「まんがムービー風雲菊池一族」Webサイト
https://www.city.kikuchi.lg.jp/ichizoku/q/list/105.html

このムービーのプロローグ編では、平安時代に太宰府から藤原則隆(ふじわらののりたか)が同地を訪れ、この土地がたいへん気に入りその姓を「菊池」と名乗って定住したところから始まるとしています。

そして、終章では西暦1300年代の南北朝時代に、南朝に与した菊池氏の当主菊池武光(きくちたけみつ)が、後醍醐天皇の皇子である懐良親王(かねよししんのう)と共に北朝側の太宰府を攻め落とし征西府を樹立、後に北朝方に敗北するまでが描かれています。

基本的に中世史のことに私は不案内なのですが、このムービー解説で疑問に思うのが、藤原則隆がいきなり「菊池」と名乗ることで菊池氏が始まっていることです。それに加え、太宰府での職務を捨てて、いきなり良い土地だと思ったからそこに移り住むかのか?という都合の良い話への疑問も拭えません。

話の冒頭でいきなり龍が現れたのは古伝承におけるご愛敬だとしても、こんな簡単に後の大豪族となる菊池氏が誕生したとは到底信じる訳にはいきません。いくら高官であろうと、よそ者が突然人の土地にやってきて土地の人々がその支配下に入るというのもどこか不自然なのです。

菊池市内にある菊池神社には菊池一族の歴代当主が祀られていますが、境内には菊池神社歴史館なる資料館が置かれ、菊池一族ゆかりの宝物や文化財が展示されています。そこには巻物に記された家系図も展示されていました。

画像2:菊池神社
画像3:菊池神社歴史館内
画像4:藤原則隆の名が書かれた家系図
画像5:血統を遡れば当然こちらの人々に繋がります

これは私の推測なのですが、藤原氏のような名家の血筋を語ったのは、実は、中世の混乱期を生き残るために土着であるの菊池氏が取った高等戦略なのではないか?そうも考えられるのです。

ただし、この家系図が唯一の歴史伝承ですから、これを否定するとなると、またもや菊池氏の出自が分からなくなってしまうのです。

これまでの菊池関連記事で述べたように、菊池には弥生時代ごろから鉄生産を行ってきた形跡があり、地元の金凝神社には古代期の天皇である第2代綏靖天皇が祀られています。

比較的最近の鞠智城に至っても西暦600年台以前と推測されますから、藤原則隆の時代(西暦900年台)からみればいずれも数百年前の話であり、それまで同地を治めていた統治体が全くなかったとはちょっと考えられません。

ですから、私は菊池氏とは古代からそこを治めていた土着の一族であると予想するのです。そして、後に藤原の末裔と名乗ることが許され、南朝の懐良親王が身を寄せたところを考慮すると、おそらく中央政権にも知れた土地の名士、あるいは古代国の盟主であったのではないかと考えられるのです。

■菊池氏の出自を巡る仮説

菊池氏の出自については誰が言い出したのかよく分かりませんが、有名な仮説があるのでここではそれを紹介します。

 『三国志』の中のいわゆる『魏志倭人伝』と呼ばれている書の中に、狗古智卑狗という人物が登場します。狗古智卑狗は菊池彦ではないかという説が以前からありました。この事をもう少し詳しく考えて生きたいと思います。

 『魏志倭人伝』は、三世紀中頃の日本の事を書いた二千文字前後の文章ですが、解釈の方法は何通りにも及び、長年に渡って論争が続いているのですが今だ結論は出ていません。結論が出ない一因として、情報の不正確さの問題があります。二千文字前後と述べたのもその理由からです。その原因の一つとしては、原本がなく転記された物をもとにしているからなのですが、大方の話の流れは正しいと思われます。間違いや不正確な小さな事を論争するより、正しいと思われる情報の精度を高めていく事の方が重要だと思われます。

 『魏志倭人伝』には、女王国(邪馬台国)の連合の国々(三〇カ国)と狗奴国が長年に渡って戦争を続けてきた事が書かれています。女王(卑弥呼)は狗奴国との争いを有利にする為に魏に使者を送り、応援を求めましたが、魏の使者が日本に来た時には卑弥呼は死んでいました。卑弥呼が死んで国が乱れた後、台与(壱与)が新たな女王となり、魏に朝貢したと書かれています。狗奴国との争いがいつまで続き、どう結着したのかは書かれていません。

 狗奴国は女王国の南にあり、王がいて、官に狗古智卑狗がいたと書かれています。魏の使者は、当時の日本人に名前を聞いて、同じ発音をする漢字を当てはめていったのだと思われます。

 漢和辞典で狗古智の読み方を調べてみると、狗は漢音でコウ、呉音でク、古は漢音でコ、呉音でク、智は漢音も呉音もチと呼びます。そうです、呉音で続けて読むとククチとなるのです。しかし、ここで問題が一つあります。同じ発音の文字をなぜ二種類も使用したのでしょうか。不弥国の所に登場する官の名称は弥弥と連続して同じ文字を使用しています。同じ発音を表すだけならば、狗狗もしくは古古で良かったのではないでしょうか。そう考えるとクコと読むのが自然なのですが、この時代の中国の人が漢音と呉音をどう使い分けしていたのかを調べる必要があると思います。

 卑狗については、対馬国や一支国の官の名称の所にも登場しており、恐らく当時の日本人が使用していた尊称の彦にあたると思われます。彦のつく名は『記紀』の中に非常に多く登場します。『古事記』では、比古、昆古、日子、彦と書き、女性の神様は比売と書きます。ニニギの時には、名前の前に日高日子と続けて使用されています。「日本書紀」では一貫して彦と媛の文字を使用しています。

 『魏志倭人伝』と『記紀』の間には接点はないとされていますが、卑狗と彦が同じ事を意味していたならば面白いことだと思います。話をまとめますと、邪馬台国の南に狗奴国があり、邪馬台国と対立していた。狗奴国には王がいて、その下に狗古智卑狗という官がいた。狗古智卑狗の読み方は、クコチヒクと思われる。クコチはククチ=久々知=鞠智=菊池という人物の事で、卑狗は彦ではないかという推論が成り立つという事です。

 狗古智卑狗の事を菊池彦だと考える読は、邪馬台国九州説の方に多く、早稲田大学の水野祐先生の説などが有名です。しかし、邪馬台国畿内説だとしても狗古智卑狗の事を菊池彦と考えてもおかしくないと思います。

引用元:渡来人研究会 菊池秀夫氏の論文から https://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/r-kukuchi1.htm

この論文の著者は断定こそしてませんが、魏志倭人伝に記述されている狗奴国の官僚「狗古智卑狗」の発音から、それが菊池氏のルーツではないかと推測しています。

そして、魏志倭人伝の該当部分には次の様に書かれています。

原文:
 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里

読み下し:
 その南に、狗奴国有り。男子が王と為る。その官は狗古智卑狗有り。女王に属さず。郡より女王国に至るは、万二千余里なり。

訳:
 その(女王国の)南に狗奴(コウド、コウドゥ)国があり、男子が王になっている。その官に狗古智卑狗(コウコチヒコウ)がある。女王には属していない。帯方郡から女王国に至るには、万二千余里である。

引用元:東亜古代史研究所 塚田敬章氏のページより https://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

あくまでも古語の発音に頼った推論なので、これだけでは何とも言えないのですが、少なくとも、藤原則隆を起源とする菊池一族の説よりは説得力があるのではないかと私は考えます。

そうなると、菊池秀夫氏が述べるように邪馬台国九州説が俄然有力となってくるのですが、まだ記事にしてないものの、魏志倭人伝を古代の尺度で厳密に読むとそこが九州の阿蘇周辺、宮崎県から大分県の辺りに該当することで私も調べがついています。

そして、女王卑弥呼の正体を追った過去記事「ダリフラのプリンセスプリンセス」では、卑弥呼とは名前を変えられた神武天皇の双子の皇后、タタラヒメとイスズヒメの祭祀を受け持つ側の皇后ではないかとも予想しています。

また、神武天皇の移動伝承は何故だか福岡県の筑豊地方に集中しており、ここから神武天皇は九州で即位したのではないかという九州王朝説を私は有力視しているのですが、女王国(神武祭祀皇后の関係国)に神武天皇の支配地域である福岡まで含めると想定すれば、その南に位置するという狗奴国が現在の菊池市あってもそれほどおかしくはないのです。

如何せん、物証が絶対的に不足しているので断定はできませんが、邪馬台国が神武国であったとすれば、邪馬台国九州説及び九州王朝説の両方で辻褄が合ってくるのです。そしてその仮説をより鮮明にするのが狗古智卑狗の存在なのです。

かつて神武王朝と敵対していた狗奴国の末裔が、南北朝に割れた大和朝廷の南朝側と手を結んだ。この辺りに懐良親王を菊池に送り込んだ南朝後醍醐天皇の意図があったのではないかと思わず想像を巡らせてしまうのです。


聳え立つ不動の岩の守り手は今も眠らず湖(うみ)を見守る
管理人 日月土

千と千尋の二人姫

アニメネタから離れて約半年、ここで再びジブリアニメ「千と千尋の神隠し」と古代史の関係を考察したいと思います。

画像1:「千と千尋の神隠し」ポスター

その前に、これまでの3つの記事でこのアニメをどのように分析してきたのか以下に簡単にまとめておきます。

千と千尋の隠された神   [2021/07/30]   
 アニメのモデルになった地は、千葉県東総地区、現在の銚子市周辺である。それは、「椿」の暗号によって示されている。

千と千尋の隠された神(2) [2021/08/14] 
 油屋のモデルとなったのは、千葉県銚子市の猿田神社である。それは、同社前に敷設された鉄道の配置からも窺える。

千と千尋の隠された神(3) [2021/08/30] 
 銚子市がモデル地と特定できる理由の一つとして、同地が琥珀の産地であることが挙げられる。この「コハク」こそが登場人物「ニギハヤミコハクヌシ」の命名の由来であろう。

なお、基本的な大前提として、タイトル中の「千と千尋」すなわち「千」の字をわざわざ二つ重ねていることなどから、主人公「荻野千尋」の古代史モデルが日本神話(日本書紀)に登場する

 栲幡千千媛萬媛命(たくはたちぢひめよろづひめのみこと)

であると仮定しています。神話では、千千媛は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の母であり、その瓊瓊杵尊はまた、同じくジブリアニメ「もののけ姫」に登場したアシタカのモデルでもあります。

この仮説は、劇中の設定と本件に関する文献および現地調査の結果を照らし合わせたところ、今や確信へと変わりつつあります。

■3月から始まる舞台

昨年7月、(真)ブログ「舞台に現れる千千姫」で、「千と千尋の神隠し」が舞台化されるとお知らせしました。そして、その舞台がいよいよ来月2日から上演されます。

 舞台公式サイト:Spirited Away 

さて、同ブログ記事の中では、次の画像を示してある不思議な共通点があることを指摘しています。

画像2:映画ポスターと二人の舞台女優

そう、アニメ画の主人公および、二人の女優さんが皆同じ

 振り向き様のポーズ

を決めているのです。そしてもう一つ、舞台上演では比較的当たり前だとも言えますが、ダブルキャスト(二人一役)を採用していることです。

但し、このダブルキャストはロングラン公演など長期の上演が決まっている場合の役者のシフトを考慮した措置で、この舞台の3月いっぱいの帝劇公演、および、5~7月までの地方公演が果たしてロングランと言えるのかは微妙なところです。

そして、その二人のキャスティングに売れっ子の二人の女優さんを同格に配置するというのも、何かの意図を感じずにはいられません。もちろん、ダブルで売れ筋女優を起用したと言う商業的戦略はあるとは思いますが。

私はここに制作側の大きな意図を見出すのですが、それについては次節以降に説明します。

■仮面の持つ意味

ここで、アニメ「もののけ姫」の主人公「サン」について振り返ってみます。

画像3:二人のサン

画像2は仮面を被ったサンと素顔を出しているサンです。普通に考えれば、仮面を着けているかいないかの違いだけで、どちらも同じサンであることには変わりありません。

しかし、ここで呪術的考察を加えると解釈は変わってきます。仮面を着けるとはその人が別人に変身することを意味し、呪術的には仮面の装着により、新たな人格と力を獲得したと考えます。すなわち、画像2の二人は別人であるとみなされるのです。

過去記事「サンがもののけ姫である理由」でも解説したように、アシタカは物語中に石火矢に射抜かれて命を落とします。その後、シシ神によって息を吹き返すのですが、同一人物が2度目の命を得たという表現から、アシタカが瓊瓊杵尊だけでなく、同時に天稚彦(アメワカヒコ=第10代アマカミホノアカリ)をもモデルにしていると同記事では指摘しています。

画像4:日本神話では天稚彦は返し矢に当たり絶命する

つまり、アシタカに使われていた人名隠しのロジックがそのままサンに対しても使われている可能性があるということになります。サンの場合は石火矢ではなく仮面という違いはありますが。

サンの古代史モデルが「木花開耶姫」(コノハナサクヤヒメ)であることは、過去記事「愛鷹山とアシタカ」を読み直して頂きたいのですが、この木花開耶姫、瓊瓊杵尊への輿入れに関しては次の様な記述が古事記にあります。

 五 本花之佐久夜毘売

 ここに天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に麗しき美人に遇ひたまひき。ここに「誰が女ぞ」と問ひたまへば、答へ白さく、「犬山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ」とまをしき。また「汝の兄弟ありや」と問ひたまへば、「我が姉、石長比売あり」と答へ白しき。ここに、「吾汝に目合せむと欲ふは奈何に」と詔りたまへば、「僕はえ白さじ。僕が父犬山津見神ぞ白さむ」と答え白しき。かれ、その父犬山津見神に乞ひに遺はしたまひし時、いたく歓喜びて、その姉石長比売を副へ、百取の机代の物を持たしめて、奉り出しき。かれここに、その姉はいと凶醜さによりて、見畏みて返し送り、ただその弟木花之佐久夜毘売を留めて、一宿婚したまひき。

※日本書紀と古事記では漢字表記が異なります、ご注意ください

ここで重要なのは、本花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)と一緒にその姉の「石長比売」(イワナガヒメ)も輿入れさせたとあることです。つまり姉妹二人の嫁がいたということですが、石長比売は容姿が醜く能邇邇芸能命(ニニギノミコト)に返されてしまうのです。

ここで、疑問に思われるのが、「姉はひどく醜く妹はたいへんに美しい」という表現です。現実でそういうケースがあるかもしれませんが、一般的ではないでしょう。これは明らかに何か別の意味を象徴した表現、史書の暗号であると考えられます。

これについては、実は漫画家の星野之宣氏がその作品「宗像教授異考録」の中で、石長比売の醜さに関する記述について次の様な仮説を提示しています。

“謎多き熊本県の遺跡トンカラリン周辺で、顔面が平面に陥没した弥生時代の頭蓋骨が出土している。これは幼少期から顔に石の仮面を押し付け変形させたのではないかとも言われている”

画像5:石長比売の漫画表現

私もこの説はかなり有力であると考えており、なぜこんなことをするかと言えば、それは幼少の時より「優秀な巫女を育てるため」であると考えられるのです。先にも述べたように、仮面を装着すればそれはもう別人であり、託宣など巫女が重要な政治的ポジションを占めたと思われる古代期には、超人的な巫女としての能力を養うためにこのような極端な処置を行う慣習があったとしても不思議ではありません。

 関連記事:
  ・チブサン古墳とトンカラリンの小人 [2020/10/31]
  ・トンカラリン-熊本調査報告 [2020/11/30]

そして更に重要なのは

 正妻と巫女の二人の女性が天皇に嫁ぐ

という事象がここに描かれていることなのです。

以上から、「もののけ姫」に見る「二人のサン」の表現には、

 ・木花開耶姫 (仮面なし)
 ・磐長姫   (仮面あり)

の二人の姫の象徴が隠されていると考えられるのです。

■卑弥呼は双子であった

ここまで書いたところで、再び過去記事「ダリフラのプリンセスプリンセス」をご覧いただきたいのです。

この記事では卑弥呼と呼ばれる古代日本の女王が、実際は初代神武天皇の正皇后「ヒメタタライスズヒメ」すなわち

 イスズヒメ と タタラヒメ

の二人の后、それも双子の后を指しているのではないかと指摘しています。そして、どちらか一人が国家祭事を預かる巫女役として配置されており、それが、魏志倭人伝が伝えるところの「卑弥呼」だったのではないかと私は考えるのです。

どうして、年の違う姉妹ではなく、双子だと言えるのか?これは純粋に呪術的な理由でそうであろうと私は考えています。双子同士が互いの体調や何を考えているのかその思考まで、語らずとも理解し合えると言うのは経験的によく知られている話です。この神掛かり的な同調能力は、双子でしかなし得ない特殊能力であり、呪術者にとってはとても魅力的、つまり「おいしい」のです。

巫女能力の優劣が国運を左右したであろう古代期に、このような能力者を元首の傍に置くことは、政治的にも大きな意味を持ったことでしょう。

何か無理矢理な説明だなと思われる方も多いかと思いますが、実は「双子」という表現は「千と千尋の神隠し」の中でも採用されていたことを思い出してください。

画像6:銭婆婆(左)と湯婆婆(右)の双子表現

この2頭身の老婆は、ダリフラ(ダーリン・イン・ザ・フランキス)と同じ双子の姉妹、即ち、双子の卑弥呼(タタラヒメとイスズヒメ)を指していると考えられるのです。

■カオナシ:仮面の正体

さて、ここまで述べたところで再び舞台「千と千尋の神隠し」の話題に戻ります。前々節で「仮面」の話題に触れましたが、「千と千尋~」の中でも仮面を着けていた準主役的なキャラクターが居ましたよね?

画像7:カオナシ

もうお分かりの通り、仮面の存在とは「カオナシ」です。このキャラは作品を通して強く存在感をアピールしますが、結局その名前も正体も明かされないまま物語は終了してしまいます。

前節までに、ジブリ作品における「仮面」と「双子」について分析しましたが、ここで、その結果をこのカオナシに適用するとどうなるでしょうか?もうお分かりのように、

 カオナシはもう一人の千尋(双子姉妹)

であり、更にその古代史モデルに遡れば

 カオナシは巫女となった栲幡千千媛萬媛命の双子姉妹

と結論付けることができるのです。それを象徴するかのように、物語の終盤で千尋は湯婆婆の元へ帰り、カオナシは銭婆婆の元に残るのです。これは双子姉妹が別れてそれぞれの道に進むことを意味しているとは考えられないでしょうか?

画像8:二人は別れ別れに

また、物語に出て来るメッセージの一つに「名前を奪う」があります。湯婆婆が人を支配する為の魔術として描かれていますが、史実から消された双子の片割れとは「名前を奪われた存在」、別の言い方をすれば「顔を奪われた存在(カオナシ)」であることは明白です。

ここまで分析したところでやっと本題の結論が一つ答えられるようになりました。舞台がダブルキャストを採用した真意とは

 二人の千尋

を形を変えて表現したものなのです。そして、なぜそれをここで打ち出してきたのかについては更に別の考察を要しますが、それについては、振り返りポーズの意味と併せ別記事でお知らせしたいと思います。

これは、かつて人気を博した女性ボーカルバンド「プリンセス・プリンセス」、そして2年前に感染騒ぎで話題になった「ダイヤモンドプリンセス号」にも通じる問題なのです。


 * * *

おまけ

画像9:叶姉妹

上図は皆さんご存知の叶姉妹。いつの頃にか3人姉妹から2人姉妹になってしまいましたが、こう言っては失礼ですが、たいして芸も無いのにやたら露出が多いですよね。この「姉妹」が曲者で、実はここにも現皇室に向けた呪いのメッセージが込められているのです。

画像10:神奈川県浦賀の叶神社(2020年3月撮影)
入り江を挟んで東西の二社あることに注意

古代呪術は時の経過と共に忘れ去られた訳ではなく、現在に至るまで脈々と継承されているということです。



顔なしと呼ばれし君に会わむとぞ思ふ
管理人 日月土

愛鷹山とアシタカ

富士山の南東側、静岡県沼津市、三島市の北西側に愛鷹(アシタカ)山という標高1504mの山があります。これを「アシタカ」と読ませるのは、いわゆる難読地名の部類なのではないかと思うのですが、そんなことよりも、この「アシタカ」という響きが非常に気になるのです。

画像1:愛鷹山とその周辺
   (原図:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9052073)

もうお分かりの通り、「アシタカ」という名前のキャラクターが大活躍のアニメ映画がありましたよね、ご存知、スタジオジブリ作品の「もののけ姫」に登場した「アシタカ」君のことです。

画像2:もののけ姫に登場したアシタカ
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

これが偶然の一致と言われればそれまでなのですが、何かと日本古代史を題材にするのが好きな日本のアニメ産業ですから、もしかしたら、愛鷹という地名と映画を何か関連付けているのかもしれません。今回は、敢えてその仮定の下で、日本古代史との絡みを追ってみたいと思います。

■アシタカを特定するヒント

まず、アシタカのキャラクター設定について、調べてみます。Wikipediaからの引用をそのまま掲載します。

本作の主人公。17歳。ヒイ様からは「アシタカヒコ」と呼ばれている。ヤマト(大和)(ヤマト王権または大和朝廷)との戦い(史実においては平安時代に起きた坂上田村麻呂の蝦夷征討)に破れ500年余り経過し、朝廷や将軍(武家政権)も衰えていた時代(室町時代後期、応仁の乱で京都は荒廃し、室町幕府の体制は瓦解していき、朝廷も権威が落ち込んでいた。更に東国では室町時代中期の永享の乱や享徳の乱以降、中央の統制が及ばぬ戦乱の時代が既に訪れていた)、北の地の果てに隠れ住むアイヌ民族であるエミシ(蝦夷)一族の数少ない若者(エミシ一族も既に衰亡しつつある事をヒイ様達が口にしている)。東と北の間にあると言われる蝦夷の村の王になるための教育を受けた一族の長となるべき少年であり、それにふさわしい気品をもつ。無口だが正義感が強く潔く、村を襲おうとするタタリ神に矢を放ち、命を奪う事と引き換えに死の呪いをかけられる。それがきっかけとなり、村を追われる。(以下略)

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%91%E5%A7%AB

物語の時代設定はとりあえず中世ということになっています。キャラクターモデル特定のヒントになるのは、次の部分でしょうか。

“北の地の果てに隠れ住むアイヌ民族であるエミシ(蝦夷)一族の数少ない若者。東と北の間にあると言われる蝦夷の村の王になるための教育を受けた一族の長となるべき少年。”

坂上田村麻呂の蝦夷征討(奈良時代末期)などのキーワードが出ていますから、アシタカは現在の東北地方出身の少年で、長たる身分が約束されていた家系の少年であると想像が付きます。

■アシタカを取り巻く人物

アシタカに古代人モデルが居るなら、当然ながらアシタカの周囲に現れる人物にもその符号が入っているはずです。そうすると、アシタカが関わる主要なキャラは次の3名になると考えられます。いずれも女性キャラです。詳細については作品本編、または上記Wikipediaの解説ページをご覧ください。

 カヤ:東北の村で永遠の別れを告げた許嫁の少女
 サン:主人公もののけ姫、犬神に育てられた
 エボシ御前:山奥でタタラ場(鉄の精錬所)を運営する女主人

画像3:3人の主要女性キャラ 左からカヤ、サン、エボシ御前
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

この3人の中で私が特に気になるのは「カヤ」です。そもそも「カヤ」という名前が問題なのです。「カヤ」とは「伽耶」、3世紀から6世紀の間、朝鮮半島南部にあったと言われる小国の名前に通じるのです。まるでそれを示唆するように、カヤが被っている尖がり帽子は朝鮮式の山高帽と似通っているのです。なお、この帽子の形状は、「ユダヤ人埴輪と六芒星」でも指摘した、ユダヤ人スタイルとも似通っているので、なおさら興味を惹かれるのです。

画像4:カヤの帽子と朝鮮式山高帽、ユダヤ人埴輪
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

次に「サン」ですが、サンという呼び名から今のところこれといった具体的な地名や人物名は思いつきません。この音を敢えて漢字に直すなら「三」か「山」になるでしょうか?英語のSunもあるかとは思いますが、ここでははっきりしません。また、顔に隈取りのようなペイントを施しているように見えますが、古代の風習から見れば、これは巫女が顔に刺す入れ墨と考えられます。アニメでは、サンは犬神に育てられた野蛮な自然児のような描かれ方をしているようですが、実はバリバリ正式な古代巫女仕様の出で立ちをしていると言えるのです。

画像5:サンと古代巫女装束(芝山はにわ祭)
(© 1997 Studio Ghibli・ND)

アシタカ、カヤ、サン、ここまでの人物を見ただけでは、古代か中世か区別がつかないのですが、「エボシ御前」が登場すると、その衣装デザインからやっとこのアニメが中世の物語であるのだなと理解できます。このキャラは名前からすでに特別で、「烏帽子」を被るような「御前(高貴な方)」であるという意味付けがされています。本来男の仕事場であるタタラ場を仕切る男勝りな描かれ方をしていますが、その名前から、極めて高貴な女性をモデルにしていると考えられるのです。

■愛鷹山に行ってみた

ここまで調べたところで、次はやはり現地調査です。年が明けた今月の1月中旬、何か手掛かりになるものはないかと、愛鷹山周辺に配置された神社をいくつか回ってきました。ちょうどよい具合に、「愛鷹神社」なる神社が、三島市、清水町、裾野市、長泉町、沼津市、その他の周辺自治体に幾つもあるようなので、まずはそこを回ることにしたのです。

画像6:愛鷹山周辺の「愛鷹神社」および「桃澤神社」
(原図:Google Map)

当日は天気に恵まれず、雨から雪へと変わる生憎の空模様、回れたのは午前中を中心とした、三島市、清水町、長泉町、沼津市の数社のみでした。それでも、現地の空気を肌で感じたことで得られた情報は多かったと思います。

画像7:三島市の愛鷹神社
どこの街でもありそうな神社
画像8:清水町の愛鷹神社
古いコンクリ造でまるで地下通路への入り口の様だ
画像9:裾野市の愛鷹神社
やはりどこにでもありそうな神社。コンクリ造
画像10:長泉町の桃澤神社
集落を見下ろす位置にあり、山の神社の雰囲気が漂う

神社によって祭神は少しずつ異なるようですが、大体なところ次の祭神が祀られているようです。

 愛鷹神社:
  彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
  鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)

 桃澤神社:
  瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
  木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)

そして、ここは富士山のお膝元ですから、当然、浅間神社(せんげんじんじゃ)も数多くあります。浅間神社の祭神と言えば木花開耶姫であり、その木花開耶姫が嫁いだ先が瓊瓊杵尊であることはよく知られている話です。

考えてみたら、彦火火出見尊は瓊瓊杵尊の子であるし、鸕鶿草葺不合尊は孫に当たります。つまり、ほぼ同時代人がこの周辺の神社に祀られていることになります。

お断りしておきますが、私は間違っても神話の話をしてるのでなく、ここで掲げられている祭神は、あくまでも実在していたという前提で話を進めています。記紀では神話としてこの辺を曖昧に記述していますので、実在人の記録である秀真伝(ほつまつたえ)と秀真伝研究者である池田満氏の研究成果をベースに、この時代の家系を描き直してみました。

画像11:ニニキネ(瓊瓊杵尊)とその前後の血縁関係
東北王朝(タカギムスビ系)との姻戚関係が確認できる

なお、赤字部分は私独自の解釈です。池田氏によるとニギハヤヒはホノアカリの養子であるとされていますが、日本の王宮は血縁を後生大事にしますから、どう考えても、遠い血縁の子をアマカミの世継ぎにするとは考えられないのです。おそらく、ニニキネの子がホノアカリに差し出され、ニギハヤヒとされたのでしょう。当然ながら、子を産んだ相手の女性も高貴な家系であることが求められます。

日高見(ヒタカミ)とは、一般的には現在の東北地方を指すと言われています。その東北地方から一人の姫、チチヒメが9代アマカミのオシホミミの元へ嫁ぎます。これが縁だったのか、オシホミミは現在の宮城県多賀城市に宮を構えたともいわれています。また、東北を流れる北上川の呼び名はヒタカミカワ(日高見川)から来たと言う研究もあります。

どうやら、東北地方と愛鷹の関係性はこれで一応確認が取れたようです。

■アシタカはニニキネであった

さて、前述した三人の女性の中でも、アシタカは二人の若い女性とごく近しい関係となります。巷ではこれが二股関係と見られて、アシタカ君は女性の視聴者からは人気がないと聞きます。しかし、私は、もっと複雑な事実関係が現実のアニメモデルにあったのだろうという結論になりました。それをまとめたのが以下の分析図です。

画像12:アシタカのモデルはニニキネ(瓊瓊杵尊)であった
(© 1997 Studio Ghibli・ND, © 2001 Studio Ghibli・NDDTM)

この図を見れば、なぜ2000年の「もののけ姫」に続いて2001年に「千と千尋の神隠し」が上映され、そこにわざわざ「ニギハヤヒ」なる名前のキャラが登場したのかが分かるでしょう。

 ニギハヤヒは不義の子であった

ここで言う不義とは「母との姦通」であり、先ほどの系図で「?」で示した女性は実母のチチヒメを表しています。もしかしたら、それを伝えるためだけにこの二つの映画は作られたのかもしれません。タイトルの「千と千尋」は「千千=チチ」、すなわちニニキネの実母である「チチヒメ」のことを指しているのでしょう。

最後に、秀真伝によるとニニキネはハラミヤマの麓に宮を置いたとあります。池田氏はハラミヤマを現在の富士山と比定されていますが、私は、愛鷹山こそがハラミヤマなのではないかと推定します。なぜなら、富士山がこれらの人物の時代に今の形で存在していたかどうかは不確かだからです。

 参考:富士山は突然現れた

なお、エボシ御前については、その役柄からチチヒメ、コノハナサクヤヒメに比肩し得る地位の持ち主であると考えられます。すなわち正后クラス以上の人物であり、時代が近く役名に関係があるとなるとヒメタタライスズヒメに比定するのがおそらく正解でしょう。ヒメタタライスズヒメについては「ダリフラのプリンセスプリンセス」にて既に記事化しています。読者の皆さんが「ヒミコ」と呼んでいる、伝説の女王のことです。

アシタカは物語の最後に、エボシ御前のタタラ場に身を置く決意をしますが、そのタタラ場こそが、ヒミコの時代に誕生した新天皇制の現皇室であり、ニニキネから続くニギハヤヒの皇統はその時に完全に失われたのです。いわゆる、ニギハヤヒの国譲りのことです。


一人の王で治めるぞ(日月神示)
管理人 日月土

倭国大乱とハタレの乱

繰り返しになりますが、このブログでは日本書紀・古事記などの史書に書かれた神代は、史実を隠蔽するために意図的に寓話化・神話化されたものであるとみなしています。

ですから、日本各地の神社に祀られている天照大御神(アマテラスオオミカミ)や大国主命(オオクニヌシノミコト)などは、実在した人物を象徴した名前であるとの認識で話を進めています。

また、それを裏付ける材料として、秀真伝(ホツマツタエ)を重要な参考資料としています。何故なら、秀真伝に登場するアマテルカミ(天照大御神のこと)や記紀で神々として描かれている他の登場人物は、ここでは明らかに実在した人物であり、都を開いた場所や血縁関係等が具体的に示されているだけでなく、人物にまつわるエピソードなどもより詳細に記述されているからです。

もちろん、秀真伝に書かれていることが全て正しいかどうかなど分かりません。そこで、神話化された記紀の物語を一種の暗号と見なし、暗号の解読内容と、秀真伝の記述に矛盾がないか、また、他の史書とはどうなのか、それらを比較検討して、史実を見出そうとしています。尤も、それは理想形であり、現実にはなかなかそこまで行きつけませんが。

■倭国大乱とは何か

女王卑弥呼と邪馬台国の謎は、卑弥呼の正体や、国が実在した場所を巡って古代史ファンにとって興味尽きない話題ですが、今回私は、敢えてその主要テーマから外れて、魏志倭人伝の次の記述に注目しました

其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 


「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大。夫婿なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。」

引用元:魏志倭人伝 http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

卑弥呼が登場する有名な一説ではありますが、私が注目するのは次の箇所です

 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年
「住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年」

男王の時代、倭国は乱れ7,80年に及ぶ乱が起きていたといいます。本書では単に「乱」と記述されていますが、一般にこれを「倭国大乱」と呼び、Wikiによると魏志倭人伝の他、後漢書や梁書などの他の中国史書にもその記述あるとあります。

 参考:Wikiペディア「倭国大乱

また、Wikiでは、史書の記述からその時期を2世紀後半としていますが、交戦勢力や戦力、指揮官や損害などについては不明ということになっています。

要するに、この頃、卑弥呼の登場直前までに日本国内で何か大きな戦争があったという漠然とした情報しか残されていないのです。

■秀真伝に書かれた騒乱

魏志倭人伝や記紀では何があったのかまったく不明の倭国大乱ですが、実は、秀真伝では記紀で言うところの神話時代に「ハタレの乱」という全国規模の騒乱があったとの記載があります。

ここから先は秀真研究者の池田満さんの文献解釈に従って「ハタレの乱」がどういうものであったかを確認します。

まず、池田氏編集の「ホツマ辞典」からその定義の冒頭部を抜粋します。

 八代アマカミ・アマテルの時代に起きた全国規模の叛乱の名称。またこの叛乱に参加した人々についていう。ハタレの語源は、必然性を超えて強引に要求する意の動詞ハタレからきている。
 ハタレには六集団の区別があって、、各々に名前が付いていた。

 (中略)

 悪人を野放しのまま放置するのか、或いは、ノリ(法)を通すために戦さをするのか、二者択一の判断を迫られた時、アマテルカミは後者を選んだ。

このハタレの乱の規模については、同辞典に次のような表でまとめられています。

表1:ハタレの乱六集団 ※赤字は筆者

秀真伝の記述を信じるなら、約80万人の参加人数とは、例えこれが述べ人数だとしても兵力としては大規模であり、決してそれが小競り合いなどではないことが分かります。

■ハタレの乱はイロから始まった

さて、このハタレの乱が何をきっかけに始まったかというと、これはいつの時代も人の常と言うべきなのか、どうやらソサノヲ(素戔嗚尊)とその兄、アマテルカミ(天照大御神)のキサキ(13人居るキサキの一人)であるハヤコとの不倫関係のようなのです。

また、ハヤコには同じくアマテルカミの筆頭キサキである姉のモチコがおり、モチコはアマテルカミの世継ぎが他のキサキの子に決まると、それに怒りハヤコと協調し、アマテルカミの弟ソサノヲを立てて天下をわが物にしようと画策を始めるのです。

二人の姉妹の画策は朝廷側に漏れて、九州の宇佐へと謹慎処分となるのですが、ハヤコは自家の忠実な部下であるコクミという人物に命じて、ソサノヲに嫁入り話がある度に相手の娘を殺させたのです。その犠牲となった娘の数は8人。そのためソサノヲは意を決してハヤコを斬ります。

ここからソサノヲのヤマタ成敗が始まるのですが、ヤマタの頭目の数は8人、これがいわゆる八岐大蛇神話の秀真伝による現実的解釈なのです。

以上、池田氏による秀真伝解釈から言えるのは、ハタレの乱とは、神話における天照大御神および素戔嗚尊の頃に発生した内乱ということになります。二人の関係について、古事記における神話ストーリーは大体以下の様になります。

『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大御神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対する。スサノオは疑いを解くために誓約(うけひ)を行った。


我の潔白が誓約によって証明されたとして高天原に滞在するスサノオだったが、居られることになると次々と粗暴を行い、天照大御神は恐れて天の岩屋に隠れてしまった。そのため、彼は高天原を追放された

引用元:Wikiペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA

以上、神話においては、アマテルカミ自身が女性にされてしまっており、ソサノヲの不倫相手のハヤコ、アマテルカミの他のキサキに敵意を抱いたモチコの存在が隠されています。

この神話設定ではソサノヲとハヤコの交情は成立せず、乱の原因となったイロの問題は消滅してしまいます。このアマテルカミの女神化には、「女の情によって崩された国家秩序」という恥ずべき汚点を史実から排除しつつ、それと同時に、女(イロ)がソサノヲを粗暴に追い込んでしまった(=社会的混乱が発生した)という、歴史的教訓と解釈のヒントを埋め込んだ、古事記特有の暗号なのではないかと私は考えるのです。

■ハタレの乱はいつまで続いたのか

もしも、中国系史書の記述する倭国大乱がハタレの乱を指すならば、ハタレの乱は7,80年続いたことになります。アマテルカミから続く血統は、秀真伝に従って記述すると次のようになります。

 アマテルカミ (ハタレの乱発生)
   |
 オシホミミ
   |
 ニニキネ
   |
 ホオデミ
   |
 ウカヤフキアワセズ
   |
 神武天皇

以前、「ダリフラのプリンセスプリンセス」で卑弥呼は神武天皇の双子の皇后の一人だったのではないか?という記事を掲載しましたが、その時の結論を用いると、ハタレの乱は神武天皇が即位した頃に収まったことになります。アマテルカミから神武天皇まで5代の王権が継承されていますが、80年を5人で割ると、一人当たりの在位期間は平均16年となり、一人の王の在位期間としては妥当ではないかと思われます。

もちろん、中国史書が示す年代と厳密に照らし合わせる必要があるとは思いますが、私はその中国史書についても、その記述に大きな疑いを持っています。何故なら、以前から主張している「歴史隠蔽政策」または「ヘブライ一掃政策」は、必ずしも日本国内だけの話とは限らないからです。疑うべきは海外史書も同じなのです。

この解釈で気を付ける点は、このハタレの乱の期間内に、いわゆる「天孫降臨」や「海彦山彦の争い」、「神武東征」など、古代史における有名歴史事象が発生したことです。つまり、それらの歴史事象の背景には、国家的内乱があり、言い換えればこの内乱こそが古代の歴史を大きく動かしたのだと言うことができます。

■聖書にみる女性と混乱

女性の乱れた情念が世の混乱を引き起こす。これについては、聖書にも似た記述がたくさんあります。特に、不法を犯すイスラエルの民を「姦淫な女」と例えるシーンは、聖書全編を通して各所に現れます。

また、黙示録では、審判の日には淫らな女性に対し大いなる罰が下されると記されています。

その裁きは真実で正しいからである。みだらな行いで/地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、/御自分の僕たちの流した血の復讐を、/彼女になさったからである。

ヨハネの黙示録 第19章2節

これはアダムとエヴァに始まる、男女のあるべき関係を厳密に規定する聖書の教えでありますが、ここには、イロの乱れがどれほど世の秩序を乱すのかという、戒めも含まれているのです。

最後に、似たようなフレーズを日月神示からご紹介しましょう。

出足の港は二二(夫婦)の理(ミチ)からぢゃと申してあろう。真理と申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ。神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。男女の道 正されん限り、世界はちっともよくはならんぞ。今の世のさま見て、早う改心、結構いたしくれよ。和は力ぞ。

春の巻 第二十五帖

人間社会における諸問題は、はるか昔から男女の関係が作り出してきたのかもしれません。きっと、より良き世を導くためには、まず夫婦の間、恋人同士の間で良き関係を作ることから始めるべきなのでしょう。歴史は男女が作る、当たり前かもしれませんがそういうことです。


 * * *

実は、11月に九州に向かった理由には、トンカラリンの現地調査だけでなく、このハタレの乱についての調査も含まれていました。明日配送予定のメルマガでは、それについてもご報告したいと思います。


奪い尽くされて、彼女は地に座る(イザヤ 3:26)
管理人 日月土




※以下は12月16日配信メルマガに関連した追加画像です

画像1:不動岩(熊本県山鹿市)
画像2:山鹿灯篭祭の灯篭
画像3:ヴィマーナ
(出典「古代核戦争の謎」学研 2009)

天孫降臨と九州

太宰府で繋がる新元号とダリフラ」でご紹介したように、私は日本の現皇室の起源が九州北部にあるのではないかと考えています。なおこれは、現皇室が初代神武天皇から始まったとみなした場合の話で、神武以前、すなわち天皇が「カミ」と呼ばれたさらに古い時代については、その拠点となった場所がさらに別の地域にあったとみています。

これを考える上で参考になるのが、歴史学会ではどちらかというと異端のレッテルを貼られている古田武彦さんの

 九州王朝説

で、細部には異論があるも次の点では私も概ね同意できると思っています。

 ・天孫降臨の地は福岡県の高祖(たかす)山の峰である
 ・国政の中心となった都は福岡県の太宰府市である

もちろん、文献重視の歴史学研究においては異端も異端ですし、端から大和朝廷を否定しているのですから歴史学会はもとより、民族団体や神道系団体からの反発も激しいでしょう。

私の場合は、そもそも日本書紀、古事記、そして海外文献である隋書や魏志倭人伝に至っても記述そのものが信用に足るとは考えていないので、既存の文献を根拠とする九州王朝説の否定論はやはり参考以上のものではありません。

これまでも何度か書いていますが、日本の場合、とにかく古代の史実を伏せようとする傾向が強く、その最も極端な表れが、神武天皇以前の代を「神様」という曖昧というかファンタジーな存在に置き換えてしまっていることです。

海外の歴史的文献においても、その記述が為政者にとって都合の良いものであることは間違いなく、海外の目だから日本を客観的に記述している保証など何もないのです。特に日本と行き来のあった朝鮮半島や中国大陸の国であるならば、その深い関係性故に互いに都合よく歴史を改ざんし合ってる可能性すら考えられるのです。

しかし、本当に古代史を隠したいのなら文献など一切残す必要はなく、敢えて偽書を残すということは、利害を伴った歴史認識の誘導、及びそこに何か真実を残したいという意思が働いたからと考えられるのです。なので、私はいわゆる歴史文献をあくまで参考、あるいは「暗号の書」として読むようにしています。

文献がそれほど当てにならない以上、頼りになるのは、時間と共に変わりにくい地名や、地域伝承、そして文献よりは確かな物証となる墳墓などの遺跡です。今回は、小難しい話はなるべく省略して、私が九州に滞在していた時に調べた現地を、特に天孫降臨という歴史イベントに絞ってご紹介したいと思います。

■天孫降臨の記述

天孫降臨を語る前に、史書ではどのように記載されているかを見てみましょう。原文中の注釈部分は省略しています。

日本書紀(巻二)
時に、高皇産霊尊(たかぎむすびのみこと)、眞床追衾(まことおふふすま)を以って、皇孫(すめみま)天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を覆(おほ)ひて、降(あまくだり)まさしむ。皇孫、乃(すなは)ち天磐座(あまのいわくら)を離(おしはな)ち、且(また)天八重雲(あめのやえたなぐも)を排分(おしわ)けて、稜威(いつ)の道別(ちわき)に道別(ちわき)て、日向(ひむか)の襲(そ)の高千穗峯(たかちほのたけ)に天降(あまくだ)ります。既にして皇孫(すめみま)の遊行(いでま)す状(かたち)は、槵日(くしひ)の二上(ふたかみ)の天浮橋(あまうきはし)より、浮渚在平処(うきじまりたひら)に立たして、膂宍(そしし)の空国(むなくに)を、頓丘(ひたを)から国覓(くにま)ぎ行去(とほ)りて、吾田(あた)の長屋(ながや)の笠狹碕(かささのみさき)に到ります。

古事記(邇邇藝命)
かれここに天津日子番能邇邇藝命(あまつひこほのににぎのみこと)に詔りたまひて、天の石位(いわくら)、天の八重たな雲を押し分けて、伊都(いつ)のちわきちわきて、天の浮橋にうきじまり、そりたたして、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穗くじふるたけに天降(あまくだり)ましき。

先代旧事本紀(巻第五 天孫本紀)
天津彦々火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)天降(あまくだり)て、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の襲槵之触二上峯(そのくしふるふたかみのたけ)に坐(ましま)す。

以上の3文献に共通しているのは、天から使わされた超自然的な存在(神様)であるニニギノミコトが我らが地上の国に降り立ったこと。そして、その天孫ニニギが降りた地とは、「筑紫」の「日向」の「高千穂」、あるいは「高千穂のクシフル」の山であったということです。

天孫ニニギとは天照大神(アマテラス)の命により地上に降り、現皇室の祖になったとされる神様です。しかし、前述したように、神武以前の天皇は「カミ」と呼ばれていただけで、けして超自然的な存在ではないのです。ここがいつも曖昧なので、日本史の解釈・天皇家の解釈がどうしても歴史ではなくファンタジーになってしまうのです。今にある神社や神道なども基本的にファンタジーに根差したものであることは言うまでもないでしょう。

さて、もう一つの共通点である地名ですが、いずれもが現在の九州に残っていることは説明するまでもないかと思います。空想や幻想ではないより確実な実証方法として、地名や史跡を追うことで実在した歴史に迫ることができるかもしれません。

■天孫降臨の正統派解釈

天孫降臨の地に関する正統的解釈として知られるのは、宮崎県は霧島連山の中の一峰、高千穂峰が天孫ニニギ降臨の地だと言うものです。坂本龍馬が妻を伴って登ったという逸話のある山です。

この解釈を認めるに当たっては「筑紫」の概念を、筑紫平野に代表される九州北部ではなく、九州全体を表すと拡大解釈しなければなりません。何故なら、この場合の日向とは宮崎県北部の日向ですから、南部にある高千穂峰とはちょっと距離があり過ぎるからです。

画像1:筑紫・日向・高千穂峰(峡)の位置関係
オール宮崎、ちょっと筑紫が広すぎないか?

私は、この解釈はかなり無理があるのではないかと考えています。九州に滞在していた時の実感として「筑紫」とはやはり福岡県を中心とした九州北部のことであり、熊本から宮崎、鹿児島までを一つの国と捉えるのには、かなり無理があるからです。基本的に古代人が把握できる距離感とは、山の頂など高見台から見渡せる範囲のことです。地図でも見ないと把握できない九州全体を一つの「筑紫」とするのは、やはり受け入れ難いのです。

そんなことを思いつつも、数年前に高千穂峰に登ってきました。その時の写真を以下に掲載します。

画像2:霧島神宮の古宮。ここから登山開始です
霧島神宮の主祭神は「天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊」
(アメニギシクニニギシアマツヒタカヒコホノニニギノミコト)
画像3:馬の背から見上げた頂き。心が折れそうに…
画像4:鉾が刺さってますが、こんなの有難がる人がいるのか?
画像5:宮崎南部の西都原古墳群には宮内庁が管理する推定瓊瓊杵尊陵がある

この時は数名のパーティーで登ったので、閑談交じりの楽しい登山であったのを覚えています。確かに神秘的な山なので、歴史上何かあるのは間違いなさそうなのですが、それが史書が示す通りの天孫降臨かというと、甚だ疑問です。

そもそも、実際には人間であるニニギさんがどうやって、聳え立つ山の頂に降臨したのかという大きな疑問があります。あるとすれば、異国の地に足を踏み入れた後に、国見をするために高い山に登った、あるいは空飛ぶ乗り物にでも乗ってやって来た。そう考えるしかありません。それって降臨じゃありませんけどね。

ご存知の様に、宮崎県の北部には高千穂峰ならぬ、高千穂峡があります。町の名前も高千穂町ですし、天岩戸神社や高千穂神社、そして日本神話を題材とした夜神楽で全国的に有名な場所です。

画像6:高千穂町の夜神楽

霧島連山の高千穂峰よりもぐっと日向にも近く、こっちが本命の天孫降臨の地かとも思えるのですが、やはり阿蘇山よりも南側にある当地を「筑紫」と呼ぶには抵抗が大きいのです。もしも天孫降臨の宮崎高千穂説が怪しいとなれば、必然的に神武天皇が誕生し東征を開始したとする現皇室の宮崎起源説までもが非常に疑わしいものとなるのです。

 * * *

さて、この疑問から古田氏の九州王朝説に辿り着き、さらに古田氏が指摘する「天孫降臨」の地の調査に取り掛かったのですが、長くなりそうなのでこの話の続きは次に回したいと思います。

また、明日発行予定のメルマガでは、瓊瓊杵尊が九州に送り出されるその背景について、若干説明を加えたいと思います。

誠の神力を現す世と成れる
管理人 日月土